紛争・植民地--中東の混乱が垣間見えるヨルダンの日常(ヨルダン留学記・りん)

またまたヨルダンからこんにちは☺︎
平日は語学学校に行き、週末は農地訪問をするのが日常です。

農地訪問?ヨルダンで?って思われるかもしれませんが、砂漠だからこそサステイナブルな農業🌿を行うコミュニティがけっこうあって!すごく面白いので、これについてもまた次回書こうと思ってます~。

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〔Darat Al-Funun〕というアートギャラリーから。時間を忘れて過ごせるのでお気に入りの場所🌞】

 

ヨルダンは安全だと思うけれど。

ヨルダン生活に大分慣れてきました。みんなに「安全なの?大丈夫なの??」と聞かれまくった留学前でしたが、ここに命の危険を感じたことは、ものすごいスピードで運転する車が横切るときだけ。笑 運転荒い人多い…まあそれにも慣れました🙃

 

でも、紛争が近い、と思うことは多いです。

 
最近はレバノンイラクでデモが起きていて、その様子が連日報道されている。
 
ヨルダンに避難してきたシリア人・パレスチナ人が多くいる。
 
難民キャンプがある。私が見たところは、キャンプというか、普通の街になっていた。

 

中東の混乱は植民地支配から始まるんだとよく言われますが、生活していて植民地時代の遺産が垣間見える瞬間もありました。

 

ヨルダンに来たからこそ見えてきた、そんなエピソードを今回書いていこうと思います。

 

 

シリア内戦、同じ名字の人を探す

アラブ世界では、名前を尋ねるとき名字まで聞き出すことが多いそうです。名字が同じだと知らない人だとしてもかなり盛り上がるそうで…!すっごく遡らないと共通の知り合いがいないかもしれない。それでも「どこかで繋がっている」という感覚をすごく喜ぶみたいです。素敵。

 

名字が分かればだいたいの出身が分かるそうなので、

「あ、〇〇さん?ということは◻︎◻︎に住んでる?私同じところに住む〇〇さん知ってるよ!!」

というような会話がふつうに行われるそうです。

 

都市部だといろんな人が混ざって住んでいるけれど、地方に行くと「ここの地域にはこの名字の人が多い」ということがある。日本とも似てますよね。

 

アラブ世界ではクルアーンの人物や家族の名前を子供につけることが多いから、ある地域に名字だけでなく名前まで全く同じ人がたくさんいるらしいです。笑 もしみんな同じ学校だったら先生困惑しそう。

 

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【アンマンの開発地区アブダリ。都会はお隣さんが誰なのかも知らないのが普通な世界。】

 

2011年にシリア内戦が始まりましたが、すぐ下のヨルダンにシリアからたくさんの人が避難してきました。

そのとき、同じ名字の人を探して訪問する人がいたそうです。なぜなら遠いかもしれないけど親戚の可能性があるから。お互い直接的には知らなくても、ヨルダンの人もシリアから逃げてきて訪問してくれた人たちに対して、やっぱり感情移入する人たちが多いそうで。

 

シリアはヨルダンのすぐ上。だから内戦が激しい時は、爆発の様子がヨルダン北部から見えたそうです…。

今もヨルダンで生活するシリア人は多いです。でも帰り出している人たちも。

この前ヨルダン北部に行った時、あらゆる家具や荷物を積んで走っていく1台の車を見ました。おそらくシリア人一家がシリアに向かっている途中だったと思われます。

 

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【サルト(首都アンマンから西に1時間ほど行ったところ)から北に行ったところ。都会とは雰囲気が全然違う。でもオリーブはどこにでもあります。】

 

国境と文化のズレ

私の語学学校の先生はヨルダンの北部出身で、今はアンマンで仕事をしています。
先生はアンマンに来たとき違和感を感じたそう。
 
使う言葉やアクセント。ダブケ(アラブの伝統的なダンス)のステップ。
 
国境は越えるけれど、シリアの南部の街に行く時の方が、共通点を感じることは多いようです。
 
こういうのを聞くと、「国境は恣意的に引かれたものなんだな」と感じます。
小中学の社会の授業で、世界地図を見ながら、「国境は山脈や川に沿っていることが多いですが、この辺りの国は真っ直ぐな線なのは何ででしょうか?」なんて先生が生徒に投げかけていた。
「理由は、植民地だったからですよ〜」と先生が言っていて、「へええ、しょくみんち、か、なんかよくわからないけどテストに出そう。」としか思っていなかった。

でもここに来て、こんな話を聞いて、国境というのが本当に現実に沿ってないことを実感しました。 

ただ地図上で引かれた幻想でしかない。でも暗黙の了解があって、みんな変えようのない事実だと思っている。お金みたいですね。

 

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【アートギャラリーで上映されていた動画。タイトルはうろ覚えだけど、「ジェントルマンたちの議論」というような名前でした】

 

ヨルダンはイギリスの支配下だったからかな。日本でいう1階のことをGround floorといい、2階のことを1st floorといいます。その言い方に慣れていない私にとってはかなり紛らわしいです~~

 

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【アンマンの夜】

 

もうすぐ11月が終わりますね。ヨルダンも朝晩はひどく冷えこむようになってきました。でも昼間はもこもこのニットを着ているとちょっと暑いなって思います。

このブログを読んでいるあなたは今どこにいるのかわかりませんが、ご体調にはくれぐれもお気を付けくださいね。健康大事です。では、また!

初留学でヨルダンに行く大学生。留学1ヶ月が経過して(ヨルダン留学記・りん)

どうもりんです〜今日はヨルダン、アンマンからお届けします!

そもそもヨルダンの景色が想像できないという方もいそう。観光地の写真を貼ってみます。

 

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【これは〔レインボーストリート〕から見える景色です。ライトアップされるとかわいい♡】
 

いつの間にかヨルダンに来て1ヶ月が経っていました。あまりにも早すぎて1ヶ月以内に交番でしなければいけないVISAの更新を忘れそうになりました。なんとかしなければいけない日の3日前に済ませることができました…不法滞在になるところだった。ちなみにそうなると罰金を払うことになります🙃

 

ーーヨルダン滞在を考えている人へーー
※最近ヨルダンのVISA手続きの法律が変わりました。初回の更新でもう2ヶ月延長する場合、[パスポートのコピー・滞在先の契約書・そのオーナーIDカードのコピー]を提出する必要があります。私は語学学校のディレクターに用意していただきました。それらとパスポート原本も忘れずに、できれば朝イチで!交番に行きましょう。さらにアラビア語が話せる人が一緒について来てくれたら怖いものはありません!


さて1ヶ月が経ったわけですが、早くも壁にぶつかりました🙃

 

やっぱりつらかった!!初の長期留学


初日。

ホストファミリー、英語使えないことが発覚。1年大学で勉強してきたアラビア語が通じなさすぎて、部屋にこもって号泣…なんでこんなところ来ちゃったんだろう、とさえ思いました…

もちろん語学力を伸ばしたいと思って来ました。だけどこんなに通じないなんて。想定外でした。これからの生活に対してひたすら不安を感じました…。

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語学学校の授業開始。

英語が使えて歓喜!やっと人とそれなりのコミュニケーションが取れる。でもそれも束の間、周りは欧米人ばかりで英語を使いこなす人たちばかりだし、音楽や映画の趣味が違いすぎるから(私はあまり洋楽洋画を鑑賞しません)、上手く会話の輪に入って行けずに落ち込み。もっと英語話せる自信あったのに。なんでみんなの前で一言も話せないんだろう…


家でも、ホストファミリーの前でいろいろ遠慮してしまって落ち着けない。伝えたいことが伝わらない。こんなんじゃだめだ、頑張らなきゃ、と思いはする。でもなんとなく気疲れして、勉強もはかどらない。

 

学校でも家でもストレスを抱えた結果、

 

3週間目。

体調を崩しました…私の体単純すぎる…

発熱と頭痛と腹痛、しかも海外で。病院に行くのも億劫なほど辛くて、でもそれよりもとにかく不安で不安で仕方なくて。

大袈裟ですけどもう生きるか死ぬかだ…と思ったので部屋を出て、Google翻訳を表示した携帯片手に「熱がある気がして…体温計ありますか…!!」と必死にホストファミリーに伝えました。あの時ほどアラビア語を振り絞って言ったことはなかった。(笑)

体温計はなかったけど、ホストマザーがお手製のスープを出してくれて、あれは美味しかったなあ…

 

たまたま近所に住んでいた日本の友達にも助けてもらって(感動)、本当に様々な人にサポートしていただいて、週末休んだらだいぶ楽になりました。

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ダウンタウンにはかわいい景色がたくさんあって写真を撮るのが楽しいです】

 

 コミュニケーションが上手くいかなくて…

今考えると、私は考えすぎていたのだと思います。

今話しかけたら迷惑かなとか、こんな話しても大丈夫なのかなとか、この表現で変じゃないかなとか。間違えたらバカにされないかな、失礼にならないかな…などなど…

そうするとだんだんストレスが溜まってくるんですね…ただでさえ住み慣れていない国にいるから、無意識にもいろんなことに気を遣って疲れちゃうのに。かなり精神的に負担がかかっていました。

 

でも私は留学は初めてで、どう対処したら良いかなんにもわからない!

 

そんなときに頼りにさせてもらったのが、留学経験のある仲間たち…!

いろんな人に連絡して相談しました〜(>_<)特に、このブログメンバーのりっちーとファーには助けられた🙏🙏

同じような悩みを持っていたと分かると、1人じゃないんだな、一緒に頑張る仲間がいるんだ、とだいぶ気が楽になりました。仲間の存在はありがたいです!!!

 

それからは、ホストファミリーにも遠慮しすぎず、でも自分の要望をきっかり満たす、ということができるようになってきました。「話せない、話せない」と思うよりも、「この言葉が聞き取れた!」「これが通じた!」と思うようにしようと。

 

語学学校の生徒と英語で話すのときも、「英語が上手く話せなくて馬鹿にされるんじゃないか」と勝手に思ってましたが、よく考えたら、

 

「そもそも私はずっと日本で生活してきて、英語を使う機会はヨーロッパの人に比べたら確実に少ないのに、今こうして英語使ってアラビア語も学んで一応生活できてるんだから、ふつうにすごいじゃん!」

 

と良い感じに開き直れました。上手くなくても話してみよう、そうしたら意外とみんな聞いてくれるから安心したんですね。分からない言葉があっても、言い換えをたくさんして「あれのこと、なんていうんだっけ…」って言うと当ててくれたり。

 

仲良くなったドイツ人の子に

「たまに英語聞き取れなくてみんなの話理解できないときもあるんだよね…」

って打ち明けてみたら、

「わかる〜特にあのイギリス人の人のアクセント強すぎてたまにわからないんだよね〜」

と!あ!めっちゃわかる(笑)なんだ私だけじゃないんだ。そうわかると気持ちがかなり楽になりました。

 

わからないことを恐れすぎないようにしよう。というか、間違えてもいいからたくさん挑戦してみよう。

と考えられるようになりました👏少し成長!

 

このように、壁を感じていたのは主に言語とコミュニケーションの面でした。食事や治安に関していろんな人から心配されますが、特に困ったことは今のところありません!

 

食の喜びは万国共通です 

食事!!これはね、もう美味しすぎる!

まずホストマザーの料理がすごく美味しい!マクルーベ、マルフーフ、タッブーレ、カプセ、たくさんのアラブ料理を食べています。

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【Kofta Kobab。想像通りの味、おいしい】

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【これはイエメン料理のMandi。バターライスの上にチキンがドンとのっている。イエメンレストランたくさんあります】

出店のファラーフェルサンドイッチとか、語学学校でのランチとか、レストランのホンモスとか、バーベキューのケバブとか、八百屋さんのフルーツとかとにかく美味しいものが多いんです💛

 

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【私の大好物ファラーフェルサンドイッチ。これは40フィルス=60円くらい。安すぎる】

 

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【オレンジの食べ比べしました~!ネーブルオレンジが外れなく美味しい!】

たまに脂っこいなあと感じるときもあるけれど…、全体的に日本人が好きな味が多い気がします!アラブ料理食べたことない方、ぜひ試してみてください😊日本にもけっこうアラブレストランありますよ~

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【スイーツといえばクナーファ。表面はさくさくの生地に甘いシロップがたっぷりかかっていて、中にはチーズが入っています。出来立てが最高です!】

 

今はアラビア語の伸びも感じているし、英語で話すときも少しずつ慣れてきた感じがしてます!この調子で頑張りたいな。

 

三日坊主、RIです。(ホーチミン編) 

※だいぶ前(10月)に下書きとして保存してあったのですが、2月に公開してます。。。

 

「りん」さんがブログを更新しろ、との通達が来て数週間経った今。(地獄のゼミ合宿から生還!!に浮かれておりました。)10月を迎え、レシートには消費税10%の文字が…🥺

っていうわけで早いですね、時が流れるのは。

 

皆さま?(なのか?..)

大変お待たせ致しました!!

ついに!ベトナム(ホーチミン)とマレーシアの旅行記(?もはや備忘録。)を書こうと思います〜〜

 

今回は、滞在15時間のホーチミン編!では、スタート🐈

 

まず夜20時頃に空港からバスで予約してあったホテルの近くまで行こうとしたんですね…

 

しかしバス停?が見当たらない。意味わからーんと思ってそこら辺のおっちゃんに、どこー?って言ったら目の前にあったというドジをしでかしたことから旅が始まりました。

 

(あ、ちなみに女子大生わたし1人の旅です。女子旅〜とかいうキラキラ要素はないですね。)

そんでもってバス🚌に乗り込んでも、アナウンスもなくバス停だと思われる場所での停車もなく、「え、なんでなん??」思ったわけですね。そしたら、自分でバス停🚏だと思ったらボタンを押して降ろしてもらうというスタイルでした。そんなの、土地勘ある地元の人しか分からんやろって思ってたんすよ。

 

後々ベトナムインターンをしていた先輩に聞いたら、地元の方はあまりバスに乗らないようでした。

 

んでもって取り敢えずプッシュザボタン💡って感じで「降りたーい」って言ったら伝わったようで、無事に下車。

 

そんでグーグルマップを見ながら歩いていたんですけど、現在地が正常に表示されないので、中々ホステルに到着できず、現地の人に聞きまくって、やっと発見しましたね〜。それからチェックインをして部屋に案内をしてもらい、しばらくしてからシャワーを浴びたのです。

 

さて、ここで質問です。皆様は今までにHELPと叫んだ経験はありますでしょうか。もちろん、私もありませんでした、この時までは。

 

あのですね…ドアの鍵が壊れて中に閉じ込められてしまったんですね、アハハ。しかも私の部屋は4F。叫んでも誰にも届きません。取り敢えず電話しようと思ったのに、不具合で繋がらず…途方に暮れました。それから15分…ホテルの予約サイトのメッセージ機能を駆使してなんとかスタッフが私の部屋まで来てくれました!!そして外側から無事に救助していただき、なぜかハイタッチを交わしていましたね。今ならサンシャイン池崎の気持ちがわかる。

そう実感しましたね。

 

そんでもって、次の朝。

ベトナム戦争記念館に行ってきました。

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高校、大学の授業で「ベトナム戦争」という言葉を耳にしたことも多いはず。この場を訪れるまでは、どこか他人事として見ていました。しかし展示されている戦場写真に心を奪われ、呆然とその場に立ち尽くしてしまいました。

 

敢えて写真は載せません。そこで感じた衝撃が伝わらない気がして…

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少し違和感を感じたのは、こちら。反戦運動の紹介コーナーだったのですが、日本、モンゴル、シリア、フィリピン、韓国、インドが並べられていますよね。アジアとして一括りするのは、分かります。でもこの括りは、意味があるのでしょうか。その国によって、戦争に対する想いは様々。日本が、東アジアが、アジアが、ユーラシア大陸が、といった一つ一つのグループ分け。きっとここでは、必要ないです。メッセージが薄れてしまうような気がしました。

皆さんも是非、一度は足を運んでみてください。

 

最後に!!

ホーチミンのおススメのカフェ、″Propaganda″(プロパガンダ)。

場所:21 Hàn Thuyên, Bến Nghé, Quận 1, Hồ Chí Minh, Vietnam

街をぶらぶらしてたら何ともかわいいアートなお店!って思って入ったのですが、本当にプロパガンダアートというものがあるとのこと!プロパガンダという言葉のイメージが悪かったので、芸術????とはてなマークが止まりませんでした。何とも言えない、「人」の描き方が面白いなと…笑笑

 

またまた話が長くなりそうなので、詳しくはググって見てください〜!

 

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では、ベトナム編でした!

 

カナダ=多文化!実際はどう??(りっちー)

 

はじまりました!留学!!

ついに!カナダでの留学生活がスタート!!

👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏

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さすが北国!想像してたより寒いです....というより冬の始まりが早い💦

9月後半になると、バンクーバーではダウンやマフラーを身につけている人がたくさん!!

(Siriいわく、本日のバンクーバーの最高気温は12℃、最低1℃⛄️⛄️ちなみに同じ日の東京の最高気温は30℃。)

 

雨季(raincouver)も本格的に始まる予感☔️

 

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日本の夏がすでに恋しいです。

 

飛び交う英語、見慣れない建物に標識、広大な自然と名前のわからない動物と植物と食べ物たち・・・

日本で暮らしていたら決して見なかったであろう、知らなかったであろうものに出会える楽しさを毎日噛み締めています!例えるならどうぶつの森で毎分3匹ぐらいのペースでレア虫を獲得している時の気持ちです。

 

前も研修ちっくなかたちで何回か海外に行っているのですが、、やはり大学生になった今、改めて日本を飛び出してみると、この年齢でしか感じられないものがあるんだな・・と実感。

 

そうは言ってもすでに1ヶ月が経ってますので新鮮さが初日より薄れつつ、、、、、

これ以上薄れたら初心のピュアな気持ちがどっかに消え去ってしまいそうなので、その前に!

今の自分じゃないと書けないであろうカナダ」について、主に私がこの目で見て感じたことを書こうと思います!!!

すでにカナダをよくご存知の方々にとっては突っ込みどころ満載な記事となっておりますが、わたしの主観ですので、どうか温かい目で読み進めてください。。🙇‍♂️🙇‍♀️

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初心の気持ちを思い出すために空港の写真を載せておきます

主に留学テーマである「多様性理解」という視点から書きますので、

私の留学内容をもっと知りたい方は、ぜひ前の記事も読んでみてください🤗

 

b-girls.hatenablog.com

 

 

カナダの多文化主義

カナダと聞けば「多様性社会」「多文化国家」を思い浮かべる方も少なくないでしょう。

カナダは1971年、世界で初めて「多文化主義政策」というものを行った国です。この多文化主義政策により、出身関係なく全ての人が平等に社会へ参加できるよう取り組みが進められています。

様々な人種や民族、多様性を認め合い、尊重するという考えが、国そのものに根付いていますので、カナダには世界中から多くの移民がより良い暮らしを求めにやってきます。なんとすでにカナダには200以上の民族が暮らしており、人口の半数以上は移民で成り立っています。

そう!カナダは移民とともに成長を続けている国なんです!!

 

 

 

カナダについて感じた「外側」の多様性

まずは、目で見てわかるカナダの多様性!実際に街に出れば、多様なエスニシティであふれているのは明らかです!

最初に多文化を感じたのはバスの運転手さん。人種もそれぞれですし、ターバンやスカーフを身につけてバスを運転する人もよく見かけます。

電車でも本当に様々な人種の方々が朝のラッシュ時に乗り合わせますので、車内では英語以外の言語もたくさん飛び交っています。ただもちろんマナーもそれぞれ。日本じゃありえないことをする人もたくさん見かけます。電車の列に並ばなかったり。

特に日常生活の作法や食べ方などでは出身の差が出ますが、「自分の中での普通」と異ることをしたからといって、ジロジロ見たり、笑う人はカナダにはいません。(日本だとありますよね。私は特に学校でそのような光景をみてきました。)

カナダでは、自分にとって当たり前じゃないこと」が「当たり前」に起きている環境にみんな慣れています。それも寛容な心を持ってるからこそできることなのかな。また国や地域によってはアジア人だからという理由で差別を受けることも、留学生の友達から聞きます。しかしバンクーバーでは全くそのような話は聞きません。

様々な国の祝祭を、出身国関係なくお祝いするのも、カナダの面白さだと感じました。最近だとメキシコの独立記念や中国の70周年記念です。またバンクーバーでは旧正月もお祝いするそうです。日系カナダ人コミュニティ主催のJAPAN フェスティバルも開催されるようで、楽しみです。🇯🇵

 

 

 

「内側の多様性」

内側の多様性、つまり目だけではわからないカナダの人の多様性理解についてです。

何度も言っていますが、相手の習慣・価値観を柔軟に受け入れられるカナダの人たちの寛容さは、国民に根付いている考え方なのかなと思います。たしかに現地のボランティア先の教育現場では、様々なルーツを持った子が同じ教室で学習していますが、「偏見・差別を行ってはいけない」と、先生たちは、幼い子どもたちにしっかりと教えています。

 

意外にもカナダでは、その人の出身や宗教、ルーツなどをしっかりと聞きます。(わたしは、いわゆる純日本人?ではないので、特に聞かれます。いつか記事で詳しく書きますね!)

カナダは様々な人種が混じり、「カオス状態」だと思っていたので、個々の文化や価値観は薄れてしまうのではと思っていましたが、逆に自分たちの文化背景を露わにすることで、相手の価値観を深く理解し、「真の多様性理解」が生まれるのかもしれません

また、文化というのは国や民族だけでは表せません。宗教、ジェンダーといったことも個人の文化に含まれます。もはやカナダの人々は「国」という枠組だけでは個人を判断しません。それだけでレッテルを張るようなことはしないのです。それよりも個人」としてのアイデンティティを形成しているいくつもの要因を、互いに尊重することで「多様性理解」を行っているのだと感じました。

これからも現地の人へのインタビューなどを通して、「多様性理解を深める方法」をより深く探っていけたらと思っています。

 

こういうことをカナダの人に聞いてみたいとかあれば、ぜひコメント欄に!!!

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LGBTの尊厳を象徴するレインボーカラーは街のいたるところで見られます

 

外から日本を見てみて

こうやって海外で新しいことを発見すると、いかにこれまで自分が狭い価値観の中で生きていたのかを実感します。

自分の知らなかった日本の側面を外から発見することも留学の醍醐味なのかな?また他の国の人の「日本の捉え方」に驚くこともあります。よくあるのが、アジアの文化が混ざってしまっていること。「〇〇SUSHI」と書いてあるお店をバンクーバーでは多く見かけるのですが、中には名前だけ寿司屋で、メニューに載っているのはタイ料理やシンガポール料理だったり。現地の友達に聞けば「ヌードルは全てJapanese Foods 。JapanaseといえばSUSHI。 」と理解に苦しむ答え方をされました。😅

一方で私の知らない日本のことわざや、日本の著名人について聞かれることもあります。他の日本人は知っているのかなって思って聞いても全然知らなかったり。(日本でめちゃくちゃ有名なペリーは、アメリカではさほど有名じゃないみたいな感覚かな。)

また麺類を食べる時に音を立てるのは、ここではマナー違反。日本では麺を吸う時に音を立てるのが常識だというのは、思った以上にどこの国でも有名なことらしいです。麺類を食べる時や、ラーメンなどの話をすると必ず話題になります。ちなみに私は音を立てる派ではないです。(少数派?)

 

いろいろ書きましたが、こうやって日本について話す機会があると、日本について広い視野から学べます。

一方で、自分の1つ1つの考えや行動が、日本人ならではの価値観や自分のバックグラウンドに基づいていたと気づくのも、留学中の方が圧倒的多いです。大切なのは海外にいても日本人としてのアイデンティティを自覚すること。そして誇りに思う部分はしっかり自信を持ち、自分の選択1つ1つに理由づけをしてみることで、自分という「個人」を形成している様々な要因を捉えることが可能になるのかな。

相手を理解するのも大事ですが、これからは自分の価値観についても、しっかりと自分自身と向き合い、深く考えていこうと思います。考えなんて、特に今の時期コロコロ変わりますけど😂

 

 

ではでは次の投稿もお楽しみに!!!

 

次回はバンクーバー紹介でもしようかな!!

アラビア語サバイバル生活(ヨルダン留学記・りん)

ヨルダンからこんにちは〜!✋
語学学校のプレイスメントテストを受け、最初から全部アラビア語で話されて恐れおののいたりんです。簡単な会話も上手く言えないと凹みますけど、頑張らなきゃって気にもなります🔥

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【アンマン。ヨルダンの国旗を探せ!】

アラビア語学習歴2年になりました

私は大学生1年生の頃から少しずつアラビア語を勉強しています。最初は独学。といっても、文字を覚えるのと、簡単な挨拶を覚えるくらいだけど。

でも、もしアラビア語これから授業取ろうかなって考えてる人がいれば、こうして少しだけでも勉強しておくのが本当に本当におすすめ!授業が始まると多くの人が最初の文字を覚えるところでつまずいてしまう。けれど私は半年くらい先にかじっていたおかげで、つまずくことなく、後になってかなり良かったなあと思ってます!

 

2年生の時にようやく大学で授業がとれた👏

私の大学の授業はなぜか週に3回、計7時間もあるカリキュラムになっていたので、割としっかり学ぶことができました。

 

最初は20人くらいいたけれど、学期ごとに減っていって、最終的な人数は6人(笑)この人数なのでみんなけっこう仲良くなって、1年間の授業が全て終わっても、空きコマで集まって自主的に教科書をすすめようってなりました。こうして友達と勉強すると続けられるから、とてもありがたかった〜!!

 

 

アラビア語ってあのミミズみたいな文字のやつ?

そうです。これが大学の教科書。

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なぜか、アメリカの教科書。何かシール貼ってあるとか気にしないでください。あ、でもこれ何かわかる人いたら友達になりたい。

私は中古のものをアマゾンで注文したんですが、それでも高かったし届くのに時間がかかった〜

 

ご覧の通りかなり厚みがあるので、1年の授業だけでは終わらないんです!なので授業が終わっても教科書をすすめるってことをしたのです。それでも私が留学するまでに終わらなかった😂

 

内容としてはこんな感じ。右から左に読みます。

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こんな風に、章毎にまず単語が出てきます。単語のチョイスは、たぶん学生向けによく使われるようなものになっているのかな。

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この単語をもとにتمرين(練習問題)があって、文章を書いたり読んだり、リスニングをしたり話すワークをしたりします。文法事項の説明も少しずつ出てきます。

実はこの教科書、私の通っている語学学校が使っているものと同じことが判明~!私は違うテキストを使っていますが!

 

文語(フスハー)を話したら笑われる?!

アラビア語に少しでも触れたことのある方はよくよくご存知だと思いますが、アラビア語は〔文語/フスハー〕と〔口語/方言アンミーヤ〕がかなり異なるのですね…これもアラビア語が難しいってされる理由の一つだと思います。

簡単に言えば、〔フスハー〕は基本的にニュースや新聞、本で使われます。対して〔アンミーヤ〕は、普段の生活の中で話し言葉として使われます。アラビア語は広い地域で使われている言葉なので、同じアラブ人でも地域が違えば通じ合えないことも😮 

日本でも東北の方言強めの人と関西の方言強めの人が話し合ったら、何話してるかお互いわからなさそう…これは私の勝手な想像です(笑)🙇‍♀️でも分かりやすいイメージとしてはそんな感じかも。

 

基本的には〔アンミーヤ〕で日常会話を交わすのですが、大抵大学で学ぶのは〔フスハー〕。…ということは??

フスハーがわかっても、アンミーヤがわからないと現地の会話についていけないかもしれないんですー!フスハーで話しても何も通じなかった、とか、その話し方変だよって笑われた、という経験をした人が私の周りにけっこういます🙃私が今いるヨルダンでも、フスハー分かってくれる人じゃないとアラビア語話してもほとんど通じません(泣)

 

前のブログにも書いたのですが、私が留学したいと思ったのは、現地のことをもっと知りたいから。

 

そしたらフスハーだけじゃ足りないじゃん!!!!アンミーヤも学ばないとどうしようもない〜!

 

ということで語学学校へ行くことを決意🙋‍♀️私はイスラエルパレスチナ問題に特に関心があるので、〔レヴァント方言〕をやることにしました。

〔レヴァント方言〕は、パレスチナ・ヨルダン・シリア・レバノンといった地域で話される方言。もちろん発音や単語等違いはあるけれど、ほとんど同じだよ、って友達のパレスチナ人が言っていたのでそれを信用してます!!!

だから今ヨルダンに来て勉強しているんですね~

 

地球の歩き方めっちゃ便利です!!

本屋さんでよく見かける、「地球の歩き方」。最後の方のページになんと、方言がけっこう載っています!書店ですぐ購入できて誰でも簡単に学べます◎2000円以上するけど何度も助けられました。感謝。

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他のメンバーも元気かなあ。ブログみんな更新して!!!!

(りん)

〜アジアに魅せられて〜🇲🇾自己紹介🇲🇾(シイ)

B-girlsのブログを訪れてくださった皆さん、はじめまして!

このブログが始まって3週間が経とうとしていますが、早くも(?)新メンバーとして仲間に入れてもらいました🙌🏻

 

シイ』といいます☺️💫

都内の大学に通う3年生です。

 

ブログのメンバーである4人とは高校の同級生で、在学時から現在もなお繋がっている、私の貴重な友人です👭

私の通っていた高校は本当に国際色豊かで、仲のいいグループで遊ぼうとしてもだいたい1人は海外に居る事が多く、全員集まる事はほぼありません(笑)

 

 

さぁ、高校の思い出話はこのくらいにして……

 

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私は昨年の8月にマレーシアクアラルンプール(以降:KL)にて約1ヶ月間、語学研修&海外インターンシップを経験して来ました!🇲🇾🕌

 

 

マレーシアは多民族国家と言われており、マレー系・中華系・インド系etc…と様々な民族・文化が行き交う異文化都市です。

 

中でもKLは首都でもあり、経済発展の中心とも言えます。中心部のビル群は東京のそれに引けを取らないほど!😳

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↑お気に入り『バトゥ洞窟』⛑

とても神秘的です。運が良ければ、お猿さんと2ショットが撮れます!

 

週末にはこのような王道の観光地にも行きつつ、平日は現地の大学でしっかり学び、後半は海外インターンシップ…今思い出しても濃密な1ヶ月でした。

 

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ここまでは、私のマレーシア体験記のほんの一部に触れていただいたに過ぎません。

 

これからの投稿では、

🤷🏻‍♀️なぜマレーシア?

🤷🏻‍♀️なぜ海外でインターンシップ

🤷🏻‍♀️マレーシアってどんな国?

🤷🏻‍♀️多民族国家、異文化って?

 

などなど、私が1ヶ月の滞在でどのような事を感じ、学んだのか発信していきたいと思っています!✈️

気ままに更新していきますので、お付き合いください☺️

 

 

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↑大好きなフルーツ『ランブータン』🥰

毎日食べていた為、皮むきが上達し現地の学生に驚かれました(笑)

 

 

 

最後に、自己紹介をさせていただきますね⭐︎

 

*自己紹介*

◎ゼミナール

家族社会学&ジェンダー社会学🌈

◎興味がある事

地域研究(東南アジア)、性差・性別役割、トランスナショナル関係、異文化間コミュニケーション、対人心理、メディア心理、消費者行動

◎趣味

楽器演奏、喫茶店巡り、歴史遺跡巡り

 

よろしくお願いします😊

 

(シイ)

 

 

なんで中東になんか行くんだ!と100回は聞かれた(りん)

こんにちは!りんです。今回は、よく聞かれる質問について…。何がどうなって中東に留学なんて行こうと思ってしまったか。

 

こんなタイトルですが、割と真面目に正直に書いていくので読んでいただければ。

 

目次

 

まだご覧になってない方はこちらもぜひ。

 

b-girls.hatenablog.com

 

きっかけとなった小説

中東に興味を持ったきっかけはいろいろありました。でも中東を学びたい!と思い至ったいちばんのきっかけは、イスラエルパレスチナ問題を知ったことでした。

 

高校の時、世界大戦時のユダヤ人の子供たちを描いた物語、”Star of David””Once”に出会いました。

www.barnesandnoble.com

これは英語の本ですが、別に帰国子女ではないです😅一冊読むのにかなり苦戦しました…

高校の時英語の本をひたすら読むという「多読」の授業があって、そのとき担任でもあった英語の先生が紹介してくださった本が上記の本だったのです。

だから、本当にたまたまの出会いで、それがなかったら今全く別の道にいるかもしれない…と思うとすごいですね~🤔

 

特に覚えているのが、”Once”のあるシーン。ネタバレになってしまうので詳しくは言いませんが(安心してください~)、

 

なぜ子供たちは、何もしてないはずなのに、こんな経験をしなければいけないのだろう。

なぜ人間はこんなふうに残酷になれてしまうんだろう?

 

理解できない、したくないような出来事が描かれたシーン。

ページをめくるのさえもままならない。

 

それほど衝撃で、読み終わってもこの問いが頭の中から離れませんでした。

普通だったら、その時はすごく心に響いても、しばらくしたら内容も忘れちゃうことの方が多いのにね。

 

 

しばらくしてイスラエルの建国中東戦争をはじめとした歴史を学び、それについて論じた社会学的な本や、文学作品にも出会うこととなりました。

 

人間である意味とは何だろう。

ただ生きていることなのか、もっともらしい死に方をするということなのか。

 

そんなことを繰り返し考えて、大学では平和研究を専攻することを決意しました。

こんな感じの考えなので、学んでいることは哲学に近いかな。

 

イスラエルパレスチナ人と会って…

今までの流れの中で、イスラエルパレスチナ問題に関心を持ったきっかけは説明しましたが、この段階では「いつか現地に行ってみたいなあ」くらいの気持ちだったかなと思います。

 

休学までして現地に行こうと思い至った理由は別にありました。

学生会議に参加して、何人かのイスラエル人・パレスチナ人と会ったことがあります。そうして実際に会った経験というのが、やはり大きかったなあと思います。

 

そこではイスラエルパレスチナ紛争をはじめとして、紛争がどのようなものであるのか、紛争の原因は何か、ということについて議論します。私はそのとき、目が開ける思いをしました。

 

私は高校の頃から平和や紛争について考え、大学でもしっかり学んできたつもりでした。だから「私はある程度この問題について知識がある」と思っていたし、「自分なりの平和観に関する意見も言える」と思っていました。

 

けれど、イスラエル人・パレスチナ人の紛争体験を聞いている中で、

「私は本当に紛争をわかっている、といえるのかな…」

と思わざるをえなかったのです。

 

私が今まで学んできたことといえば、

イスラエルパレスチナの政治体制や、衝突の名称や年代、規模、死傷者数、その後に結ばれた条約、周辺国との関係。そういったことばかりでした。

 

そこに具体的な市民の姿ははっきり見えていなかった。

どのような暮らしをして、何を思い、日々生活を送っているのか。

 

政治体制を考えることももちろん必要不可欠なことだとは思っているけれど、政治より前に、人々が日常生活を営んでいるということがある。それを見逃して良いのだろうか。

紛争を前にして生きるということ。それによって、現に苦しみを感じている人がいるということ。

 

このことを考え続けていかなければならない、これを見逃して、平和を語ることなんてできない。直感的にそう思ったのです。

 

もうその時点で、留学に行かないという選択肢は私の中で消えました!(笑)行かないまま卒業したくないって。

でもさすがに明日からいってきます!なんてならないので、どうしたら行けるんだろうと考える。お金もかかるし、親を説得しなきゃだし。

そこで、〔トビタテ〕という奨学金制度の情報を知ります。これしかない!と思い、これを目指して半年くらい猛進する日々が続くことになります。あれはいろいろつらかった…そのことについても後々書いていこうかなあと思ってます。

tobitate.mext.go.jp

 

 

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【またもやクルドレストランに行った時の写真です。かわいい。】 

 

次の投稿をするときはもう現地にいるかもしれない~ではではまた✋

Have a good day!

(りん)