なんで中東になんか行くんだ!と100回は聞かれた(りん)
こんにちは!りんです。今回は、よく聞かれる質問について…。何がどうなって中東に留学なんて行こうと思ってしまったか。
こんなタイトルですが、割と真面目に正直に書いていくので読んでいただければ。
目次
まだご覧になってない方はこちらもぜひ。
きっかけとなった小説
中東に興味を持ったきっかけはいろいろありました。でも中東を学びたい!と思い至ったいちばんのきっかけは、イスラエル・パレスチナ問題を知ったことでした。
高校の時、世界大戦時のユダヤ人の子供たちを描いた物語、”Star of David”や”Once”に出会いました。
これは英語の本ですが、別に帰国子女ではないです😅一冊読むのにかなり苦戦しました…
高校の時英語の本をひたすら読むという「多読」の授業があって、そのとき担任でもあった英語の先生が紹介してくださった本が上記の本だったのです。
だから、本当にたまたまの出会いで、それがなかったら今全く別の道にいるかもしれない…と思うとすごいですね~🤔
特に覚えているのが、”Once”のあるシーン。ネタバレになってしまうので詳しくは言いませんが(安心してください~)、
なぜ子供たちは、何もしてないはずなのに、こんな経験をしなければいけないのだろう。
なぜ人間はこんなふうに残酷になれてしまうんだろう?
理解できない、したくないような出来事が描かれたシーン。
ページをめくるのさえもままならない。
それほど衝撃で、読み終わってもこの問いが頭の中から離れませんでした。
普通だったら、その時はすごく心に響いても、しばらくしたら内容も忘れちゃうことの方が多いのにね。
しばらくしてイスラエルの建国や中東戦争をはじめとした歴史を学び、それについて論じた社会学的な本や、文学作品にも出会うこととなりました。
人間である意味とは何だろう。
ただ生きていることなのか、もっともらしい死に方をするということなのか。
そんなことを繰り返し考えて、大学では平和研究を専攻することを決意しました。
こんな感じの考えなので、学んでいることは哲学に近いかな。
イスラエル・パレスチナ人と会って…
今までの流れの中で、イスラエル・パレスチナ問題に関心を持ったきっかけは説明しましたが、この段階では「いつか現地に行ってみたいなあ」くらいの気持ちだったかなと思います。
休学までして現地に行こうと思い至った理由は別にありました。
学生会議に参加して、何人かのイスラエル人・パレスチナ人と会ったことがあります。そうして実際に会った経験というのが、やはり大きかったなあと思います。
そこではイスラエル・パレスチナ紛争をはじめとして、紛争がどのようなものであるのか、紛争の原因は何か、ということについて議論します。私はそのとき、目が開ける思いをしました。
私は高校の頃から平和や紛争について考え、大学でもしっかり学んできたつもりでした。だから「私はある程度この問題について知識がある」と思っていたし、「自分なりの平和観に関する意見も言える」と思っていました。
けれど、イスラエル人・パレスチナ人の紛争体験を聞いている中で、
「私は本当に紛争をわかっている、といえるのかな…」
と思わざるをえなかったのです。
私が今まで学んできたことといえば、
イスラエル・パレスチナの政治体制や、衝突の名称や年代、規模、死傷者数、その後に結ばれた条約、周辺国との関係。そういったことばかりでした。
そこに具体的な市民の姿ははっきり見えていなかった。
どのような暮らしをして、何を思い、日々生活を送っているのか。
政治体制を考えることももちろん必要不可欠なことだとは思っているけれど、政治より前に、人々が日常生活を営んでいるということがある。それを見逃して良いのだろうか。
紛争を前にして生きるということ。それによって、現に苦しみを感じている人がいるということ。
このことを考え続けていかなければならない、これを見逃して、平和を語ることなんてできない。直感的にそう思ったのです。
もうその時点で、留学に行かないという選択肢は私の中で消えました!(笑)行かないまま卒業したくないって。
でもさすがに明日からいってきます!なんてならないので、どうしたら行けるんだろうと考える。お金もかかるし、親を説得しなきゃだし。
そこで、〔トビタテ〕という奨学金制度の情報を知ります。これしかない!と思い、これを目指して半年くらい猛進する日々が続くことになります。あれはいろいろつらかった…そのことについても後々書いていこうかなあと思ってます。
【またもやクルドレストランに行った時の写真です。かわいい。】
次の投稿をするときはもう現地にいるかもしれない~ではではまた✋
Have a good day!
(りん)