紛争・植民地--中東の混乱が垣間見えるヨルダンの日常(ヨルダン留学記・りん)
またまたヨルダンからこんにちは☺︎
平日は語学学校に行き、週末は農地訪問をするのが日常です。
農地訪問?ヨルダンで?って思われるかもしれませんが、砂漠だからこそサステイナブルな農業🌿を行うコミュニティがけっこうあって!すごく面白いので、これについてもまた次回書こうと思ってます~。
【〔Darat Al-Funun〕というアートギャラリーから。時間を忘れて過ごせるのでお気に入りの場所🌞】
ヨルダンは安全だと思うけれど。
ヨルダン生活に大分慣れてきました。みんなに「安全なの?大丈夫なの??」と聞かれまくった留学前でしたが、ここに命の危険を感じたことは、ものすごいスピードで運転する車が横切るときだけ。笑 運転荒い人多い…まあそれにも慣れました🙃
でも、紛争が近い、と思うことは多いです。
中東の混乱は植民地支配から始まるんだとよく言われますが、生活していて植民地時代の遺産が垣間見える瞬間もありました。
ヨルダンに来たからこそ見えてきた、そんなエピソードを今回書いていこうと思います。
シリア内戦、同じ名字の人を探す
アラブ世界では、名前を尋ねるとき名字まで聞き出すことが多いそうです。名字が同じだと知らない人だとしてもかなり盛り上がるそうで…!すっごく遡らないと共通の知り合いがいないかもしれない。それでも「どこかで繋がっている」という感覚をすごく喜ぶみたいです。素敵。
名字が分かればだいたいの出身が分かるそうなので、
「あ、〇〇さん?ということは◻︎◻︎に住んでる?私同じところに住む〇〇さん知ってるよ!!」
というような会話がふつうに行われるそうです。
都市部だといろんな人が混ざって住んでいるけれど、地方に行くと「ここの地域にはこの名字の人が多い」ということがある。日本とも似てますよね。
アラブ世界ではクルアーンの人物や家族の名前を子供につけることが多いから、ある地域に名字だけでなく名前まで全く同じ人がたくさんいるらしいです。笑 もしみんな同じ学校だったら先生困惑しそう。
【アンマンの開発地区アブダリ。都会はお隣さんが誰なのかも知らないのが普通な世界。】
2011年にシリア内戦が始まりましたが、すぐ下のヨルダンにシリアからたくさんの人が避難してきました。
そのとき、同じ名字の人を探して訪問する人がいたそうです。なぜなら遠いかもしれないけど親戚の可能性があるから。お互い直接的には知らなくても、ヨルダンの人もシリアから逃げてきて訪問してくれた人たちに対して、やっぱり感情移入する人たちが多いそうで。
シリアはヨルダンのすぐ上。だから内戦が激しい時は、爆発の様子がヨルダン北部から見えたそうです…。
今もヨルダンで生活するシリア人は多いです。でも帰り出している人たちも。
この前ヨルダン北部に行った時、あらゆる家具や荷物を積んで走っていく1台の車を見ました。おそらくシリア人一家がシリアに向かっている途中だったと思われます。
【サルト(首都アンマンから西に1時間ほど行ったところ)から北に行ったところ。都会とは雰囲気が全然違う。でもオリーブはどこにでもあります。】
国境と文化のズレ
でもここに来て、こんな話を聞いて、国境というのが本当に現実に沿ってないことを実感しました。
ただ地図上で引かれた幻想でしかない。でも暗黙の了解があって、みんな変えようのない事実だと思っている。お金みたいですね。
【アートギャラリーで上映されていた動画。タイトルはうろ覚えだけど、「ジェントルマンたちの議論」というような名前でした】
ヨルダンはイギリスの支配下だったからかな。日本でいう1階のことをGround floorといい、2階のことを1st floorといいます。その言い方に慣れていない私にとってはかなり紛らわしいです~~
【アンマンの夜】
もうすぐ11月が終わりますね。ヨルダンも朝晩はひどく冷えこむようになってきました。でも昼間はもこもこのニットを着ているとちょっと暑いなって思います。
このブログを読んでいるあなたは今どこにいるのかわかりませんが、ご体調にはくれぐれもお気を付けくださいね。健康大事です。では、また!