たくさんの後悔を残しイスラエル・パレスチナを離れることにしました(りん)

オーソドックスのユダヤ人ばかりが乗る飛行機に乗り、13時間の乗り継ぎ時間の間ヘブライ語が聞こえる隣で大学のオンライン授業も受け(テーマは第一次インティファーダ)、すっからかんな日本の空港に辿り着きました。

どこをみても日本語の世界で、歩けば日本語が聞こえる。道路は平で整備されててみんな交通ルールを守ってて、スーパーの商品はきちんと棚におさまってて値段の表記があって、トイレットペーパーは店内にはありませんってわざわざ張り紙もしてある、そんなところに帰ってきた。

体内時計はまだ7時間遅く動いてる。今日も6時(日本の13時)にちゃんと起きて、眠くない日本の夜を過ごしてる。

 

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[イェルサレムの観光も1回しかできなかったな…曇りの日の写真しかない]

 

もう帰国したから、帰国があの状況にいた私にとってはベストだったんだ、と思うしかないけど、そうしないと自分の決断を正当化できないからだと思うけど、でも、もっと他にできたことがあったんじゃないか、果たせなかったことが多すぎて、後悔ばかり。帰国したら絶対後悔するってわかっての決断だった。でも帰国しなくても後悔すると思った。どっちの選択肢を取るにしても何かを諦めなきゃいけない。

 

私は決断をすることが怖かった。

 

普通に外出しようかなって普段考えるときでさえ、外歩いて運動した方がいいし、、でも家でやることもあるし、、今日は天気がいいし、、でも日焼けしたくないし、、みたいな理由をひたすらあげて結局は時間を浪費しているだけに終わるくらいに行動の決断が苦手。
さすがにもう身の危険を感じるし、当初の目標を果たせなさそうだから帰国する!!っていったん決めても、やっぱり残りたい、そのほうが自分の目的に適うんじゃないかって何度も考えてしまうので、航空券の購入画面からその先のボタンが押せず、何時間もパソコンを放っておいた。


自分の意志で決めたことを自分の意志を使って終わりにしなきゃいけないことは残酷だと思う。


最後の最後に私の背中を押したのは、同じパレスチナの大学で勉強していた友達もその日に出国を決めたから、一緒にボーダーを通って空港まで行けたら、今後一人で通ることになるよりも安心なんじゃないか、もうこのチャンスって二度とないんじゃないかって思ったこと…(下①をご参照ください~ここでも占領がなあ…って思う)

 

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[イェルサレムの旧市街にあったTシャツたち]


深夜の便の航空券を午後3時くらいにやっと買えて、急いでパッキングして会える人にはさよならを言って、2時間後には空港に向かってました。もう本当に信じられない!これが最後の景色なのかって思うと、やり残したことばっかり頭に浮かぶし、でもそれは私の力でどうにかなったかというと、そうじゃないし、なんでこんな理不尽なんだろう!ただ例年多くの人がしているみたいな留学生活をしたかったのに…こんなところで中断しなきゃいけないなんて。


きっと今回の決断には、ベストなものなんてなくて、どっちを選んでもものすごく不安で後悔することなんだろうなって思っています。自分の決断を正当化して自分を守るためにも、そのときに考えた理由と気持ちを書き出しておこうと思いました。長いですが同じようにもやもやしている人の支えになればなんておこがましいけど、そんな望みも抱きつつ書いてみます。

 

帰国を決めた理由


イスラエルパレスチナの行き来が困難になる可能性が高くなった


3月15日(日)に、イスラエルで働くパレスチナ人労働者が、イスラエル内に入ることを禁止されパレスチナヨルダン川西岸)にとどまるようにとの決定がありました。
イスラエル内で働くパレスチナ人は約20,000人と聞きました。正式な数が把握しにくいのは、法外の闇市で働く人たちもいるからだそうです。
パレスチナイスラエル間の移動は、検問所/チェックポイントを通る必要があります。パレスチナ人労働者はこの検問所での出入りを禁じられたのです。この決定はすべての行き来しようとする人(当然外国人にも)にあてはまる可能性があり、「数日のうちに検問所が完全に閉められてしまうのではないか」、とSNS上でも話題になっていました。正確な情報で判断したかったのでジャーナリストの方に確認したところ、正式な発表があったわけではないとのこと。ただ、今後そうなる可能性は否定できない。私は「発表がされて動くのではもう遅いのではないか」、と思うようになりました。もし閉鎖されちゃったら、西岸の中に閉じ込められて、空港にも行けないことになるので…(でもこの私にとって異常で緊急な状態が、パレスチナ人にとっては通常のことなんだな…)

 

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[検問所に向かう途中] 

 

② 航空便が激減してきた


イスラエル/パレスチナに入国する方法は2通りで、
1) 空路 イスラエル側のベン・グリオン空港から
2) 陸路 エジプトかエジプトから


2に関しては、エジプトはシナイ半島を通るルートなので、もともと外務省の発表する危険レベルの高さ的に選択肢としては考えなかった&ヨルダンのボーダーは既にコロナの影響で封鎖されていた、ヨルダンも空港封鎖を始めていた、という状況でした。


出国するとしたら1の空路を考えるしかない。けれど今やイスラエルの入国者は大幅に制限され、航空会社も採算をとるためにイスラエル発の便数も大幅に減らしていました。特にアメリカやヨーロッパ諸国が非常事態宣言を出してから、それらの国に飛ぶ便は続々となくなっていきました。一緒に勉強してきた留学生たちも、大使館や大学から帰国命令が出て帰っていきました。

 

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[空港からの行き道で見つけた直行便宣伝の看板、日本のイメージがわかる笑] 

 

③ 次の留学先(イギリス)の危険レベルが2になり、渡航が不可能になった


私はイスラエルパレスチナの滞在が終わった後、イギリスに滞在し、有機農業ボランティアをして持続可能・自立的な社会体系を考え、そのあと大学のサマースクールで開発学を学ぶ予定でした。トビタテ奨学生ですが、その規定として、「レベル2以上の地域での留学は支援の対象外となる」ということが決められています。また、日本政府も不要不急の渡航はやめるように勧告しています。そうなってしまった以上、私はこの後直接イギリスに渡航するのではなく日本に帰国しなければならないことになりました。そしたらいつ帰国するかどうかだけが問題。今すぐか、様子を見るか…そう考えていたとき、

 

イスラエルで不必要な外出を禁止する発表が出された


つまり滞在し続けていても、外出が一切できない。観光はおろか友達に会うこともできない…

他の留学生が帰国しても私が滞在を好んだ大きな理由として、「現地の友達に絶対に会う!」という強い気持ちがありました。

私が留学を決めたきっかけは、友達が直面する状況をこの目で確かめなければいけない、そうでなければ「紛争が解決してほしい」、「平和な世界になってほしい」と口にはしても第三者の机上の空論にしかならないだろう、と思ったこと。だからそんなふうに思わせてくれた人たちに感謝の意も込めて、その人たちの街を訪ね、再会したかった。

でも、この発表によって不可能になってしまった。もしかしたら近いうちに解除されるかもしれません。でも一向に解除されないまま、むしろ規制が強まっていったらどうしよう、と思うと、ここに居続けることを考え直さなきゃいけないなと思いました。実際にジャーナリストの方も、「この発表が出たことを受けて、パレスチナでも同じような流れになり、さらに規制が強まるのでは?と」予想していました。22日からcurfewが実行されるそうな…

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[イェルサレム新市街にあるマハネー・イェフダ市場。再会したイスラエル人の友達と一緒に、カットフルーツやハラワ、クナーフェを食べ歩いて楽しかったなあ]

 

⑤ 体調不良になったら外国人をわざわざ受け入れてくれる医療機関があるのか保証がなかった


そして普通にコロナが広まってる中、私も感染しないとどうしていえるでしょう。ただでさえ心身ともに疲れを感じていて、コロナに感染するまでもいかなくても、体調不良になる可能性は高い。だけど病院もパニック状態。パレスチナは適切な処置ができる病院の数もかなり少なく、感染者の手当てで手一杯な中、自国民を差し置いて外国人を手当てする余力があるのかと考えると、難しいと思う。外の状況だけでなく、自分の健康状態も気にかけなければならないと気づきました…

 

⑥ 毎日のようにパレスチナに来ていた留学生が自国に戻り、心理的な支えがなくなってきた


一緒に勉強を続けていた友達たちがどんどん帰国していく。アラビア語の授業はいつの間にか2人しかいない。しかもパレスチナだけでなくアメリカやイギリスに留学していた日本の友達も次々と帰国を決めている中で、私は状況を楽観視しすぎではないのか?と焦りが生まれていました。毎日のように新しい規制が発表され状況が変化し、「今日は何が起こるのか…」と不安な気持ちのまま勉強にも集中できなくなってきました。

 帰国の決断と今後


正直本当に帰国したくなかった。帰国したいとはいいつつも、それは寂しいっていう表現で、誰かに帰国を考えた方が良いって言われても私はここに居続ける!って心のうちに決めてたの。私は強い目的と意志があってこの留学をした。どうしたら平和を達成できる社会を構築できるのか、その可能性を本気で考えたいって。
もちろんこれに対して、日本でもできることはたくさんある。だからこのような状況になってしまった以上、そのできることにフォーカスして、前向きに進んだらいいと思う。

でも、現地に行かなければわからないこともあるなって思う。


あの検問所を通ったとき、無機質な壁を眺めたとき、ヨルダン川西岸からテルアビブのビル群を見つめたとき、銃を抱えた人々を見たとき、そして銃声を聞いたとき、どんな気持ちになるか、いくら人から聞いても、私はわからなかっただろう。

これは連続的な出来事で、断片的に切り取っても全容はつかめない。見たもの聞いたものの積み重なりが、新しい感情を生みだしているような気がした。

 

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[入植地の狭間で生活しているアラブ人のおじさんが、門を開けてくれたとき]

 

電気や水が自由に使えずまた止まった~って話すと、それを簡単に占領のせいにして具体的な行動をとっているように感じられない人々に対するフラストレーションもあったし、コロナコロナって叫ばれるのは西岸にいるときで、そんなモラリティで世界に向けて自分たちは被害者だって自国の人権を訴えようとしてる姿に怒りと失望を感じたこともあったし、もちろんこれは突発的な感情だからいろいろ議論の余地はあるけど、こっちで生活しなければ知ることもなかったと思う。知りたくなかったことも思い出したくもないことも経験として言いくるめてしまえば、綺麗になってしまうんだな。

 

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[停電が何回起きたか数え切れない!ガスと水は使えるなら、停電時やることといえば暗闇クッキングだった]

 

普通の国」だったら、またコロナのパニックがおさまったら行こう、と言えるけど(もちろんこのタイミングで行くこと自体にすごく意味があった、という声が聞こえるのは承知の上で)、ここは違うから、もう一度簡単に来れるところではないから、出国が本当に辛かった。またいつか来る!とは絶対思ってる、けど入念すぎる入国・出国審査を経験したあと、パスポート変えるまでは少なくとも行くべきじゃないのかな…って感じてる。


それと私のこれらの経験から培われた価値観として、したいと思ったことはすぐにしないと、もうその機会は二度と訪れないかもしれないって思うようになった。何か起こっても、自分(や自分に近しい人)はそれに当てはまらないだろうってどうしてか考えちゃうけど、そんなことない、誰の上にだって雨が降るように、誰にでもありえることなんだ、

 

だから自分の心に強く存在するものはいつも大事にして、目指すもののためには今すぐに取り組もうって思う。道が見えにくくなったかもしれないけど、道がなくなったわけじゃないと思うから、頑張らなきゃな。

 

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[ヤッファで友達と再会できたとき、その子の一押しジェラート屋さんにて]


日本の隔離生活の間に滞在の記録をまとめて更新していきたいと思ってます。サバイバルだった日常生活のこと、差別のこと、すごく嬉しかったことも書いておきたいな…なるべく新鮮な気持ちのままで。コロナで外出できなくてすることないな~っていうときにでも頭の片隅にあったらのぞいてみてください~~