差別のこと もう少しちゃんと言いたい(イスパレ留学期4)

(以前からもうちょっとだけ書きたいことを、続きとして書くことにしました)

 

b-girls.hatenablog.com

 

 
🍏20202

 大学のアラビア語の授業。最初の頃は、كيفك؟(元気?)」と聞かれたら、「زعلانةالطقس إعصار(もう台風並みに怒ってるんだけど!)」と冗談めかして言ってみる元気もあった。

 

 f:id:b_girls:20210104125717j:plain

[大学構内、ロックダウン前の写真これくらいしかない…]

 

こんな私の話を聞いて、同じ授業をとるヨーロッパに住むパレスチナ系のルーツを持つ人は、何さ落ち込むことないとでも言いたげな表情をする。

「差別は当たり前にあるものだから。初めて経験するから、辛いだけだよ」

と落ち着いて私の目を見ながら、なだめるように言う。

 

私は、それがとても悲しかった。

あなたはこの辛さをわかってくれないのか、という悲しさではなくて、あなたはもう十分その辛さを知りすぎていたということが、悲しかった。

 

🍏

たしかにその友人の言う通りなのかもしれない。私がただ今までは気付かなかった問題なだけで、本当はどこにでもあって、初めて自分自身の問題として直面しただけの、そんなちっぽけな話なのかもしれない。だけどそんなちっぽけな話として片付けなきゃいけないなんて、それでいいのかな。

私はもう少しポジティブに、この差別を多くの人に問題として認識してもらえたらいいなとも思ったの。私はパレスチナの素敵な尊敬できる友人を何人も知ってたから、みんながみんな差別してくるわけじゃないって分かってた。でもあまりにも差別してくる人の数は多すぎるし、このまま何もせず帰国するのも違う気がした。本人は軽い気持ちで言ってるだけかもしれないけど、これは人を傷つける深刻な問題なんだよってことを私なりに発信しようと思った。

 

SNSに動画とメッセージを載せた。勇気のいることだった。

まず日本の友達はこれを見てどう思うか。私は危険というイメージばかりのパレスチナの良さを、いろんな人に知ってほしい気持ちもあって、留学したんだもん。これでネガティブなイメージがつくかもしれないことが嫌だった。

でも、差別について、一緒に考えてほしい。その気持ちもあった。これは綺麗事かも。本当はただ吐き出したかったんだと思う。

 

たくさん反応があった。日本の友達も、ヨルダンの友達も、現地の友達も。SNSで拡散してくれたりとか、メッセージくれたりとか、私本当に本当に嬉しかったの。少しずつでも、こうやって状況が変わっていくかもしれないんだな。こんなに優しくしてくれる人がいるんだから、私ももう少し頑張ろうって思えた。

 

それなのに、翌日朝起きると、自分でもなんでなのかわからないままに涙が出てくる。確かに多くの人から反応があって嬉しいと思ったはずなのに。早く大学の支度をして、新しい気持ちで授業に臨もう。また外に出たらあんな思いをするのかなって恐れる必要なんてなくて、信じた道を進めばいい。でもそれができないの。起き上がれなくて、怖くて、周りが一気に霧がかって真っ白になって、進むべき道が何も見えない、正しいことがわからない。あんなことをして私は正解だったのかな。結局自分のやってることは正義ぶった自己満足なんじゃないかな。

でもだからといって、ベッドでうずくまって泣いてるだけじゃ、何の意味ないのに!何かが足りないと思うなら考えればいいし、学べばいいの。せっかくこの地に来たんだから、できることは何でもやるべきなの!それでもただ泣くことと、時間が経つのを待つことしかできない私は、本当に無力だと思った。

 

 

🍏

しばらくして、日本でもパレスチナNPOの人たちが差別にあっていることが報道された。

 

f:id:b_girls:20210104125941j:plain

 

報道の力はすごかった。 

パレスチナでもそのことがニュースになって、差別すると逮捕されると公に認識されたのだ。

その前の週はラマッラーを歩いたときに2時間で50回くらい言われていたのが、報道を経て5回ほどに減った。何人かがこの報道の話を道端でしていて、気にしてるらしいことも知った。

もちろん相変わらず平気で言ってくる人もいたけど、笑っちゃうくらい明らかな変化だった。

 

またありがたいことに、ラジオやネットニュースで、日本人学生がパレスチナでどんな思いをしているのかを取り上げていただく機会もあった。視聴者は限られているとはいえ、アラブ社会に直接自分の声を届けられたことは大きな意味があったと思った。それは私の心理的な支えという意味でも。

 

f:id:b_girls:20210104130047j:plain

 

助けてくれる人も、増えた。

ラマッラーでは、私がコロナと叫ばれたときに、それを見た別の人が、私の元にわざわざ来て、I’m sorryって英語で言ってくれたり

 

大学でも、すれ違った女の子たちにコロナだって笑われたのを、私は振り返って、でも特に言い返すのもやめてスタスタ歩き始めたら、後ろから別の女の子たちがやってきたの。”Excuse me! I’m very sorry, but ignore them."

優しい子たちだなあと思った。わざわざ追いかけて、こう一言声をかけてくれることが、私にとって、どんなに心が救われたことか。アラビア語で話せばよかったのに、私はただ一言、Thank youとしか言えなかったな…

 

🍏

パレスチナに行って、私は何ができたんだろう。中途半端な滞在で、何も残せなかった、何もわからなかった。

なんでホロコーストが起こった後、今度はパレスチナの地で、同じような追放や虐殺が起こったんだろう?これがパレスチナ問題に関心を持ったきっかけだった。

暴力を受けた経験をした人や、その恐ろしさを知った人は、暴力を使おうとはしないだろうという、戦後日本が政治的にも喧伝してきたようなナラティヴをしっかり取り込んだ子どもらしい発想だった。そもそもホロコーストがあったからイスラエル国家が建国された、というナラティヴに取り込まれていたことにも、ずっと気づけていなかった。

学んだことであげられることがあるとすれば、占領を全ての悪の根源とする人があまりにも多くて、何か変えようと行動しようとする人はそこまで多くないようなこととか、人権の主張をしている割には、アジア人のような他者の人権には目も向けていない人が多いこととか、西欧中心主義が浸透しすぎて差別的な言動に無知な日本を含めた世の中とか、簡単に暴力的になれる自分とか、そんなことばっかりだ。

つまるところ「悪の陳腐さ」っていうことが、いちばんまとまっている言葉なんだと思う。

 

でもやっぱり、それで自分にはコントロールできないことだから、仕方ないから、っていうのは違う。今まではストア的圧倒的努力によって、暴力を完全に自分から排除することを目指してた。でも少なくともあの段階の私にはそれが上手くできなかった。それならまずは暴力が人間の近くにいることを認識することから始めるのがいいのかもしれない。

 

「人間的諸感情、たとえば愛・憎・怒・嫉妬・名誉心・同情心およびその他の心のさまざまな激情を人間の本性の過誤としてではなく、かえって人間の本性に属する諸性質として観じた。」(スピノザ『国家論』)

 

記憶をたどるのはやさしいことではなくて、傷ついた痕はなかなか消えないと思う。本当はタイムリーに書きたかったことだったけど、結局投稿には1年近くもかかってしまったし、いざ書いてみても、なんかこんな感じに軽くまとめられちゃうんだなって、正直呆気ないや。。

 

f:id:b_girls:20210104130240j:plain

パレスチナのアーモンドの花]

 

 

🍏追記:アジア人差別について

「コロナ感染を持ち出して人種差別を正当化しているだけ。もともとアジア人に対する蔑視が存在していた。それが表面化しただけなのだ。」

こう解釈したほうが、ずっと楽に理解できたし、そう今もそう思ってる。

 

とはいえアジア人といっても、中東もアジアの一つだから(歴史的に小アジアと呼ばれたところは、今のトルコだったり)、東アジアと西アジアで大きな区別があるのかなあ。そもそもアジアというカテゴリーから疑わないといけないのかも。もちろんオリエンタリスティックな中東というカテゴリーも。

中国人への蔑視が存在しているというのはヨルダンにいた頃も思っていた。「中国人って犬もなんでも食べるんでしょ?日本もそうなの?」とか、「中国人は無礼だから好きじゃない」とか、実際にそう言う人は中国人に会ったことはあるのか?もしも経験から言っているとしても、それはステレオタイプに経験を押し込めようとしているだけではないか?と私は聞いてみたくなった。けれども私は聞かなかった。不快感だけが残って、こうやって、いつも残したものばっかりだ。

今年はもうちょっと、私も変われるかな。変わりたいと思ってる。

 

(りん)