たくさんの後悔を残しイスラエル・パレスチナを離れることにしました(イスパレ留学記1)

オーソドックスのユダヤ人ばかりが乗る飛行機に乗り、13時間の乗り継ぎ時間の間ヘブライ語が聞こえる隣で大学のオンライン授業も受け(テーマは第一次インティファーダ)、すっからかんな日本の空港に辿り着きました。

どこをみても日本語の世界で、歩けば日本語が聞こえる。道路は平で整備されててみんな交通ルールを守ってて、スーパーの商品はきちんと棚におさまってて値段の表記があって、トイレットペーパーは店内にはありませんってわざわざ張り紙もしてある、そんなところに帰ってきた。

体内時計はまだ7時間遅く動いてる。今日も6時(日本の13時)にちゃんと起きて、眠くない日本の夜を過ごしてる。

 

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[イェルサレムの観光も1回しかできなかったな…曇りの日の写真しかない]

 

もう帰国したから、帰国があの状況にいた私にとってはベストだったんだ、と思うしかないけど、そうしないと自分の決断を正当化できないからだと思うけど、でも、もっと他にできたことがあったんじゃないか、果たせなかったことが多すぎて、後悔ばかり。帰国したら絶対後悔するってわかっての決断だった。でも帰国しなくても後悔すると思った。どっちの選択肢を取るにしても何かを諦めなきゃいけない。

 

私は決断をすることが怖かった。

 

普通に外出しようかなって普段考えるときでさえ、外歩いて運動した方がいいし、、でも家でやることもあるし、、今日は天気がいいし、、でも日焼けしたくないし、、みたいな理由をひたすらあげて結局は時間を浪費しているだけに終わるくらいに行動の決断が苦手。
さすがにもう身の危険を感じるし、当初の目標を果たせなさそうだから帰国する!!っていったん決めても、やっぱり残りたい、そのほうが自分の目的に適うんじゃないかって何度も考えてしまうので、航空券の購入画面からその先のボタンが押せず、何時間もパソコンを放っておいた。


自分の意志で決めたことを自分の意志を使って終わりにしなきゃいけないことは残酷だと思う。


最後の最後に私の背中を押したのは、同じパレスチナの大学で勉強していた友達もその日に出国を決めたから、一緒にボーダーを通って空港まで行けたら、今後一人で通ることになるよりも安心なんじゃないか、もうこのチャンスって二度とないんじゃないかって思ったこと…(下①をご参照ください~ここでも占領がなあ…って思う)

 

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[イェルサレムの旧市街にあったTシャツたち]


深夜の便の航空券を午後3時くらいにやっと買えて、急いでパッキングして会える人にはさよならを言って、2時間後には空港に向かってました。もう本当に信じられない!これが最後の景色なのかって思うと、やり残したことばっかり頭に浮かぶし、でもそれは私の力でどうにかなったかというと、そうじゃないし、なんでこんな理不尽なんだろう!ただ例年多くの人がしているみたいな留学生活をしたかったのに…こんなところで中断しなきゃいけないなんて。


きっと今回の決断には、ベストなものなんてなくて、どっちを選んでもものすごく不安で後悔することなんだろうなって思っています。自分の決断を正当化して自分を守るためにも、そのときに考えた理由と気持ちを書き出しておこうと思いました。長いですが同じようにもやもやしている人の支えになればなんておこがましいけど、そんな望みも抱きつつ書いてみます。

 

帰国を決めた理由


イスラエルパレスチナの行き来が困難になる可能性が高くなった


3月15日(日)に、イスラエルで働くパレスチナ人労働者が、イスラエル内に入ることを禁止されパレスチナヨルダン川西岸)にとどまるようにとの決定がありました。
イスラエル内で働くパレスチナ人は約20,000人と聞きました。正式な数が把握しにくいのは、法外の闇市で働く人たちもいるからだそうです。
パレスチナイスラエル間の移動は、検問所/チェックポイントを通る必要があります。パレスチナ人労働者はこの検問所での出入りを禁じられたのです。この決定はすべての行き来しようとする人(当然外国人にも)にあてはまる可能性があり、「数日のうちに検問所が完全に閉められてしまうのではないか」、とSNS上でも話題になっていました。正確な情報で判断したかったのでジャーナリストの方に確認したところ、正式な発表があったわけではないとのこと。ただ、今後そうなる可能性は否定できない。私は「発表がされて動くのではもう遅いのではないか」、と思うようになりました。もし閉鎖されちゃったら、西岸の中に閉じ込められて、空港にも行けないことになるので…(でもこの私にとって異常で緊急な状態が、パレスチナ人にとっては通常のことなんだな…)

 

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[検問所に向かう途中] 

 

② 航空便が激減してきた


イスラエル/パレスチナに入国する方法は2通りで、
1) 空路 イスラエル側のベン・グリオン空港から
2) 陸路 エジプトかエジプトから


2に関しては、エジプトはシナイ半島を通るルートなので、もともと外務省の発表する危険レベルの高さ的に選択肢としては考えなかった&ヨルダンのボーダーは既にコロナの影響で封鎖されていた、ヨルダンも空港封鎖を始めていた、という状況でした。


出国するとしたら1の空路を考えるしかない。けれど今やイスラエルの入国者は大幅に制限され、航空会社も採算をとるためにイスラエル発の便数も大幅に減らしていました。特にアメリカやヨーロッパ諸国が非常事態宣言を出してから、それらの国に飛ぶ便は続々となくなっていきました。一緒に勉強してきた留学生たちも、大使館や大学から帰国命令が出て帰っていきました。

 

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[空港からの行き道で見つけた直行便宣伝の看板、日本のイメージがわかる笑] 

 

③ 次の留学先(イギリス)の危険レベルが2になり、渡航が不可能になった


私はイスラエルパレスチナの滞在が終わった後、イギリスに滞在し、有機農業ボランティアをして持続可能・自立的な社会体系を考え、そのあと大学のサマースクールで開発学を学ぶ予定でした。トビタテ奨学生ですが、その規定として、「レベル2以上の地域での留学は支援の対象外となる」ということが決められています。また、日本政府も不要不急の渡航はやめるように勧告しています。そうなってしまった以上、私はこの後直接イギリスに渡航するのではなく日本に帰国しなければならないことになりました。そしたらいつ帰国するかどうかだけが問題。今すぐか、様子を見るか…そう考えていたとき、

 

イスラエルで不必要な外出を禁止する発表が出された


つまり滞在し続けていても、外出が一切できない。観光はおろか友達に会うこともできない…

他の留学生が帰国しても私が滞在を好んだ大きな理由として、「現地の友達に絶対に会う!」という強い気持ちがありました。

私が留学を決めたきっかけは、友達が直面する状況をこの目で確かめなければいけない、そうでなければ「紛争が解決してほしい」、「平和な世界になってほしい」と口にはしても第三者の机上の空論にしかならないだろう、と思ったこと。だからそんなふうに思わせてくれた人たちに感謝の意も込めて、その人たちの街を訪ね、再会したかった。

でも、この発表によって不可能になってしまった。もしかしたら近いうちに解除されるかもしれません。でも一向に解除されないまま、むしろ規制が強まっていったらどうしよう、と思うと、ここに居続けることを考え直さなきゃいけないなと思いました。実際にジャーナリストの方も、「この発表が出たことを受けて、パレスチナでも同じような流れになり、さらに規制が強まるのでは?と」予想していました。22日からcurfewが実行されるそうな…

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[イェルサレム新市街にあるマハネー・イェフダ市場。再会したイスラエル人の友達と一緒に、カットフルーツやハラワ、クナーフェを食べ歩いて楽しかったなあ]

 

⑤ 体調不良になったら外国人をわざわざ受け入れてくれる医療機関があるのか保証がなかった


そして普通にコロナが広まってる中、私も感染しないとどうしていえるでしょう。ただでさえ心身ともに疲れを感じていて、コロナに感染するまでもいかなくても、体調不良になる可能性は高い。だけど病院もパニック状態。パレスチナは適切な処置ができる病院の数もかなり少なく、感染者の手当てで手一杯な中、自国民を差し置いて外国人を手当てする余力があるのかと考えると、難しいと思う。外の状況だけでなく、自分の健康状態も気にかけなければならないと気づきました…

 

⑥ 毎日のようにパレスチナに来ていた留学生が自国に戻り、心理的な支えがなくなってきた


一緒に勉強を続けていた友達たちがどんどん帰国していく。アラビア語の授業はいつの間にか2人しかいない。しかもパレスチナだけでなくアメリカやイギリスに留学していた日本の友達も次々と帰国を決めている中で、私は状況を楽観視しすぎではないのか?と焦りが生まれていました。毎日のように新しい規制が発表され状況が変化し、「今日は何が起こるのか…」と不安な気持ちのまま勉強にも集中できなくなってきました。

 帰国の決断と今後


正直本当に帰国したくなかった。帰国したいとはいいつつも、それは寂しいっていう表現で、誰かに帰国を考えた方が良いって言われても私はここに居続ける!って心のうちに決めてたの。私は強い目的と意志があってこの留学をした。どうしたら平和を達成できる社会を構築できるのか、その可能性を本気で考えたいって。
もちろんこれに対して、日本でもできることはたくさんある。だからこのような状況になってしまった以上、そのできることにフォーカスして、前向きに進んだらいいと思う。

でも、現地に行かなければわからないこともあるなって思う。


あの検問所を通ったとき、無機質な壁を眺めたとき、ヨルダン川西岸からテルアビブのビル群を見つめたとき、銃を抱えた人々を見たとき、そして銃声を聞いたとき、どんな気持ちになるか、いくら人から聞いても、私はわからなかっただろう。

これは連続的な出来事で、断片的に切り取っても全容はつかめない。見たもの聞いたものの積み重なりが、新しい感情を生みだしているような気がした。

 

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[入植地の狭間で生活しているアラブ人のおじさんが、門を開けてくれたとき]

 

電気や水が自由に使えずまた止まった~って話すと、それを簡単に占領のせいにして具体的な行動をとっているように感じられない人々に対するフラストレーションもあったし、コロナコロナって叫ばれるのは西岸にいるときで、そんなモラリティで世界に向けて自分たちは被害者だって自国の人権を訴えようとしてる姿に怒りと失望を感じたこともあったし、もちろんこれは突発的な感情だからいろいろ議論の余地はあるけど、こっちで生活しなければ知ることもなかったと思う。知りたくなかったことも思い出したくもないことも経験として言いくるめてしまえば、綺麗になってしまうんだな。

 

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[停電が何回起きたか数え切れない!ガスと水は使えるなら、停電時やることといえば暗闇クッキングだった]

 

普通の国」だったら、またコロナのパニックがおさまったら行こう、と言えるけど(もちろんこのタイミングで行くこと自体にすごく意味があった、という声が聞こえるのは承知の上で)、ここは違うから、もう一度簡単に来れるところではないから、出国が本当に辛かった。またいつか来る!とは絶対思ってる、けど入念すぎる入国・出国審査を経験したあと、パスポート変えるまでは少なくとも行くべきじゃないのかな…って感じてる。


それと私のこれらの経験から培われた価値観として、したいと思ったことはすぐにしないと、もうその機会は二度と訪れないかもしれないって思うようになった。何か起こっても、自分(や自分に近しい人)はそれに当てはまらないだろうってどうしてか考えちゃうけど、そんなことない、誰の上にだって雨が降るように、誰にでもありえることなんだ、

 

だから自分の心に強く存在するものはいつも大事にして、目指すもののためには今すぐに取り組もうって思う。道が見えにくくなったかもしれないけど、道がなくなったわけじゃないと思うから、頑張らなきゃな。

 

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[ヤッファで友達と再会できたとき、その子の一押しジェラート屋さんにて]


日本の隔離生活の間に滞在の記録をまとめて更新していきたいと思ってます。サバイバルだった日常生活のこと、差別のこと、すごく嬉しかったことも書いておきたいな…なるべく新鮮な気持ちのままで。コロナで外出できなくてすることないな~っていうときにでも頭の片隅にあったらのぞいてみてください~~

コロナウイルス流行による「アジア人」への人種差別について(RI)

 

 こんにちは、RIです。本日は少しまじめな話から始まります。

 

コロナウイルスによる人種差別について思うことがあるので、この場で共有させてください。

何故今このお話をするかというと、先日インドで体験した人種差別についてです。

最近、新型コロナウイルス感染症が話題になっているかと思います。ウイルスの感染力が強く、桁違いの感染者数で沢山の方が命を落としています。

しかしそれに付随した中国・韓国・日本といった「アジア人」に対する差別が深刻化していることをご存じでしょうか。

 

実際に私が体験した差別を紹介します。

先日2月中旬に、インドへ1週間ほど観光で訪れていました。街中のマーケット、空港や駅で上から下までジロっと見られていました。全員ではなかったのですがその中の一部の人たちが、「コロナ」「チャイナ」という言葉を私に対して言っていることは理解できました。電車等で私が座っていると、目の前の大学生とみられる男女数名が私の方を見て笑うこともありました。インド社会において、「外国人」というのは珍しいものだという理由もある子かと思います。しかし明らかにその限度を超える言動があったことは否定できません。

 帰国後、(個人が特定される可能性があるので伏せます)中東に滞在する友人の私の体験を上回る話を聞きました。それをインドの友人に伝えると、「君には伝えてはいなかったけど、結構酷いことを言われていたよ。」と返ってきました。現地の言語が分からなかったことが、幸運だったのでしょうか。

 

 ・避ける

 ・(少し誇張していますが)暴言を吐く

 ・クスっと笑う

 私(アジア人)の顔を見て身をもって体験した卑劣な行為です。これでいいのですか。黙ったままでいいのでしょうか。私たちは人間であって、ウイルスではありません。悪いのはウイルスです。どうか、誤解しないでください。

 

 かという私も中国の方を見ると、少し抵抗を感じていたのは事実です。しかし、その人がウイルスを持っているという確証はどこにもありません。自分自身が被害を受けた側になってようやく人は間違いに気づくのでしょう。中学生の時にイジメはダメだと教わっているはずなのにです。どの情報を信じるのかはあなた次第です。この情報を信じるかどうかもあなた次第です。

 

全ての言動や行動の責任は貴方にあります。

 

この話をしましたが、インド旅行自体はとても楽しかったです。後日体験記を載せますので、興味のある方は見てくださると幸いです(T_T)

 

ヨルダンのひたすら好きなところ3つ!(ヨルダン留学記・りん)

ヨルダンは日本にとっては馴染みのない国かもしれませんが、なんだかすごく惹きつけられる国。初めて来たのにまた来る気がしてるんです。

実は日本とヨルダンってODAで繋がりがあったり。ペトラ遺跡やヨルダン博物館に🇯🇵が発見できますよ。

 

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インディージョーンズの舞台にもなったペトラ遺跡

 

今回は、私の好きなヨルダンの魅力を3つに絞ってご紹介したく思います😊

 

 

①あたたかい人たちが多い

これはヨルダンに来たら誰もが納得することだと!ホスピタリティを非常に大事にする価値観が根付いているんだと思います🤲

私はホームステイをしていて、毎日来客があるのに驚いた!(笑)

朝ご飯を食べているときに誰か来たら「食べていきな」と言う。たまたま私と同じ学校の生徒が家の前を通りがかって挨拶したら、その人たちも招く。なんてWelcoming!🌸一度も会ったことがないのに、なかなかできることじゃないよなあと思います。

お昼には学校終わりの同じ建物に住む子どもが遊びに来る。私の勉強の邪魔をしてきます🙂

 

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【よく観ているテレビはレバノンのドラマです】

 

夜になると次々と近所の人が来ます。リビングに大きなソファーが4つあるので、そこにみんな座っていくのですが、足りなくなると椅子を持ってきて座る。テーブルの上にアラクとナッツやきゅうりやにんじん、クリームチーズが置かれ、それをつまみながらお話する。もちろんアラビア語なので私は話を全部理解できていませんが、そんな私を気にかけ会話の輪の中から外れないよう話かけてくれます。またヨルダン人はほぼ全員タバコを吸っているのですが、中には水タバコを吸う人もいます。

 

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【みんな大好きクナーファはお決まりのお菓子】

 

気がつくと12時を回っているんですが、その時間になってホストマザーがタッブーレやクッベ、マクムーラというアラブの食べ物を運んできて、みんなで食べる。「食べな!」って言ってくれるのですが、「この時間にご飯食べるの??!!」って正直困惑しちゃいます。でも美味しそうだしせっかくだからいただく。アンマンは坂が多くて、そこでたくさん歩いてるから運動になってると思うし大丈夫なはずと楽観的に考えて、時間を忘れて家族や近所の人たちと過ごしてみる。ホームシックにならないのはきっとこうしたホストファミリーとの時間が楽しくて、1人ぼっちだと感じないからだと思います。1時2時過ぎても終わる気配がないので私はだいたい先に寝ちゃいます…

 

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 【アンマンの夜景】

 

お家に限らず、外にいるときも親切でフレンドリーな人が多いと感じます。ぼったくりで有名なヨルダンのタクシー運転手だけど(笑)、私がアラビア語を話すことも関係あるかもしれませんが、ぼったくられたことはないです。「コーヒー飲む?紅茶飲む?」っておごってくれたり、小銭がないと「いいよ気にしないで」って言ってくれたり、「メーターは普通3.5Filsから始まるからよく確認してね、メーター使わないのは法律違反だからね。あと女性1人で乗るときは助手席には座らないように」と教えてくれる人も。

道に迷っていたら、目的地は近くないのにわざわざ一緒に歩いて案内してくれた人もいた。

聞いたら優しく教えてくれる人が多いから、知らないことを恐れないマインドになってきました🌼

 

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【私が思うアンマンらしい風景はこんな感じ】

 

②食べ物がおいしい

 

ヨルダンは食べ物がとにかく美味しい!ホンモス、ファラーフェル、ケバブなど他の中東諸国にも共通する料理が食べられています。ホンモスやファラーフェルはベジタリアン料理としても有名ですね。

 

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【左上からホンモス、ピクルス、ファラーフェル、またホンモス。中央はシャクシュカ、ファッテ、、その下もホンモスかな…?】

 

主食はホブズ(ピタパン)ですが、お米も食べる文化なのでどこのスーパーでも手に入ります。タイ米アメリカ米、エジプト米が売られている。

 

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(でも調理方法を見て驚き。塩とかバターとか加えて白米調理するのは信じられない……)

 

私が好きなのはフレッシュジュースなんですが、何でかというと本当にフレッシュなんです!多くのお店がミキサーを使ってその場で作ってくれます。フレッシュオレンジジュースは、オレンジの果肉が入ってて本当に美味しい…😌 

個人的にヨルダンのリンゴ🍎とオレンジ🍊は外れなく美味しい可能性が高いと思います!

 

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八百屋さんは量り売り。どんなものがあるのかな〜と眺めるのも楽しい。近所の八百屋さんに顔を覚えられて、ビニール袋をいつももらわない人と認識される笑。そして近くを通ると挨拶してくれます!

 

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③日本では見たことのなかった景色が広がる

 

ヨルダンに来てかわいい!とまず思ったのがお花たち🌼日本ではあまり見かけない種類のお花が所々に咲いているのをみると、歩くだけでも楽しくなります。

 

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ルリマツリブーゲンビリア、ソラナム・ラントネッティなど、、植物の名前は詳しくないけれど、目に入るとこれはなんだろうなとつい調べたくなる!

 

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そんなお花たちと似合う建物の色と鮮やかな窓の色も良い〜!そしてそれに負けない空の青さ。毎日快晴の日々が続く生活を送ったことがありますか!!

 

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【キング・アブドゥッラー・モスク】

 

冬になるまでは、雨も雲もない世界なんです。だから雨を降ると、多くの人がそれを見て「美しい」と言う。雨が降ると外出が億劫だし、外は暗いし、私は正直雨を喜ぶ感情を持ってなかったのですが、こっちに来てからその価値観の違いに驚く。あまりにも雨が降らないから、いつの間にか雨を恋しく思う自分もいて。

今は冬だから雲が浮かび雨も降る季節になってきたけれど、気候の違いはこんなにも人に変化を与えるんだなあと、、

 

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死海の夕焼け☀️】

 

そんな新しい体験を日々させてくれるヨルダンが好きなのです😌あたたかいところ。またきっと戻ってきますإن شاء الله! (あ、でもإن شاء الله って言うと来ない確率の方が高いかも🤭)

 

(りん)

ヨルダンは週末海外旅行ができちゃう絶好のロケーション!アンマンから空港を目指そう!(ヨルダン留学記・りん)

مرحبا

ヨルダン滞在も残りわずかになりました~りんです。アンマンはめっきり寒くなってきました。暖房がないとやっていけない~~

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【至る所に咲くブーゲンビリア。鮮やかなピンク色が青空とよく似合います】

 

血液検査から逃れたい

3ヶ月半の滞在ですが、私はVISAの延長を2回する必要があります。1回目は空港で無料で取得できますが、2回目のVISAの延長のときは血液検査をしなければならず、しかもその検査に85JD=¥13,026払わねばならない。いやだ〜血液検査したくない🥺そんな理由で週末旅行計画…!

 

「国外に出ればVISAの手続きもリセットされる」との情報を、NGOの職員の方や友達から得たのです。

 

85JD以内で旅行できたら最高。と思って航空券を探したら、なんと!€30のマルタ行き航空券があり!!行くしか!(即決)

ヨルダンは地中海が近くて、トルコ、エジプト、イタリア、ギリシャにすぐ行けちゃうロケーション。長期滞在をする人はぜひ周辺国も旅行してみるのがおすすめです!

 

ということで今回はその旅行について…も書きたいところなんですが、

その前に空港に行かねば!安く済ませたい!バスに乗ろう!

ということで、【空港行きのバスに挑戦レポート】をお送りします🙋‍♀️

 

ムジャンマ・シャマーリー(North Terminal)から空港行きのバスが出ています。他の地点からでも乗ることはできるので、滞在場所に合わせて選ぶの良いでしょう◎

 

07:35 ムジャンマ・シャマーリー到着

 

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セルビスとバスがたくさんとまってます!どれかわからないので、おじさんに聞きます。どうやら近くのオフィスでチケットを買う必要があるそう。歩いて案内してくれました。

チケットは3.3JD30分に1本きっかりバスが出てるようです。アンマン市内を走るバスとは違って時間通りなのがありがたいです(笑)

時刻表はここから見ることができます↓

sariyahexpress.com

私が買ったチケットは8時発だったので、少し待ちます。オフィスの隣に小さいお店があったのでピスタチオのクッキーを買ってみた。30フィルス=¥45。前に買って食べて美味しかったデーツのクッキーと同じ会社のYasmeenです😋

 

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【ピスタチオのマームールとバスのチケット。マームールは普通イードのときに食べるそうですが、シーズン意外にも売っているので私は食べる。甘すぎなくて美味しいから好き💚】

 

待ち時間に出会ったおじさん

外で待ってたら、チケット売り場にいたおじさん(さっきとは別のおじさん)が椅子を持ってきて、「座って座って!」と。さらに「コーヒー飲む?おごるよ!」と言ってくれました。

コーヒー飲まないので断っておきましたが、これが典型的なヨルダン人だと思います😂初対面の人にもお節介焼きなところが私はけっこう好き…🤦‍♀️

 

「ここで働いているの?」と聞いたら、

「ドライバーをしてるんだ。でもヨルダンでの仕事は火のようだよ。ここでの仕事は本当に難しいんだ」と言います。

これを聞いて何と返事すれば良いのでしょう…。

少し考えて「でもあなたは仕事があるじゃない」と言ったら「 الحمد الله神様のおかげで」と。

厳しい現実とその中でもひたむきに生きているであろうおじさんに出会いました。

 

08:00 バス到着。乗車。

白と黄色の車体のバスが来ました。おじさんに「来たよ!」と教えてもらい乗り込みました。土曜の朝ですが乗客は少なめ。ゆっくり過ごせました。

 

08:55 空港に到着。

約1時間かかりました。道路には渋滞もなかったので、スムーズに行きました!道路状況によって所要時間は違うかも🤔?飛行機の時間に確実に確実に間に合うためには、余裕を持って行くのをおすすめします。

 

とはいえヨルダンの街中のバスは、時刻表がなくて時間が読みにくいので、その感覚で考えるとこの空港往復バスは素晴らしいです👏

 

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【無事に飛行機に乗れました〜死海が見える👀】

 

 

アンマン市内から空港まで、

タクシーだと約18~25JD=¥2700~3800

バスだと3.3JD=¥505

5倍以上も違う!バスが圧倒的にお得です〜私はバス支持者🙋‍♀️

ただ大荷物の場合はバスは厳しいのかも。小回りが利きそうでしたらバスが絶対的におすすめ~!アンマン~空港間の往復で出ています。

 

もしヨルダンにお越しの際はぜひトライしてみてください!

 

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【海を求めて3時間✈️🇲🇹】

 

 

 

 

紛争・植民地--中東の混乱が垣間見えるヨルダンの日常(ヨルダン留学記・りん)

またまたヨルダンからこんにちは☺︎
平日は語学学校に行き、週末は農地訪問をするのが日常です。

農地訪問?ヨルダンで?って思われるかもしれませんが、砂漠だからこそサステイナブルな農業🌿を行うコミュニティがけっこうあって!すごく面白いので、これについてもまた次回書こうと思ってます~。

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〔Darat Al-Funun〕というアートギャラリーから。時間を忘れて過ごせるのでお気に入りの場所🌞】

 

ヨルダンは安全だと思うけれど。

ヨルダン生活に大分慣れてきました。みんなに「安全なの?大丈夫なの??」と聞かれまくった留学前でしたが、ここに命の危険を感じたことは、ものすごいスピードで運転する車が横切るときだけ。笑 運転荒い人多い…まあそれにも慣れました🙃

 

でも、紛争が近い、と思うことは多いです。

 
最近はレバノンイラクでデモが起きていて、その様子が連日報道されている。
 
ヨルダンに避難してきたシリア人・パレスチナ人が多くいる。
 
難民キャンプがある。私が見たところは、キャンプというか、普通の街になっていた。

 

中東の混乱は植民地支配から始まるんだとよく言われますが、生活していて植民地時代の遺産が垣間見える瞬間もありました。

 

ヨルダンに来たからこそ見えてきた、そんなエピソードを今回書いていこうと思います。

 

 

シリア内戦、同じ名字の人を探す

アラブ世界では、名前を尋ねるとき名字まで聞き出すことが多いそうです。名字が同じだと知らない人だとしてもかなり盛り上がるそうで…!すっごく遡らないと共通の知り合いがいないかもしれない。それでも「どこかで繋がっている」という感覚をすごく喜ぶみたいです。素敵。

 

名字が分かればだいたいの出身が分かるそうなので、

「あ、〇〇さん?ということは◻︎◻︎に住んでる?私同じところに住む〇〇さん知ってるよ!!」

というような会話がふつうに行われるそうです。

 

都市部だといろんな人が混ざって住んでいるけれど、地方に行くと「ここの地域にはこの名字の人が多い」ということがある。日本とも似てますよね。

 

アラブ世界ではクルアーンの人物や家族の名前を子供につけることが多いから、ある地域に名字だけでなく名前まで全く同じ人がたくさんいるらしいです。笑 もしみんな同じ学校だったら先生困惑しそう。

 

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【アンマンの開発地区アブダリ。都会はお隣さんが誰なのかも知らないのが普通な世界。】

 

2011年にシリア内戦が始まりましたが、すぐ下のヨルダンにシリアからたくさんの人が避難してきました。

そのとき、同じ名字の人を探して訪問する人がいたそうです。なぜなら遠いかもしれないけど親戚の可能性があるから。お互い直接的には知らなくても、ヨルダンの人もシリアから逃げてきて訪問してくれた人たちに対して、やっぱり感情移入する人たちが多いそうで。

 

シリアはヨルダンのすぐ上。だから内戦が激しい時は、爆発の様子がヨルダン北部から見えたそうです…。

今もヨルダンで生活するシリア人は多いです。でも帰り出している人たちも。

この前ヨルダン北部に行った時、あらゆる家具や荷物を積んで走っていく1台の車を見ました。おそらくシリア人一家がシリアに向かっている途中だったと思われます。

 

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【サルト(首都アンマンから西に1時間ほど行ったところ)から北に行ったところ。都会とは雰囲気が全然違う。でもオリーブはどこにでもあります。】

 

国境と文化のズレ

私の語学学校の先生はヨルダンの北部出身で、今はアンマンで仕事をしています。
先生はアンマンに来たとき違和感を感じたそう。
 
使う言葉やアクセント。ダブケ(アラブの伝統的なダンス)のステップ。
 
国境は越えるけれど、シリアの南部の街に行く時の方が、共通点を感じることは多いようです。
 
こういうのを聞くと、「国境は恣意的に引かれたものなんだな」と感じます。
小中学の社会の授業で、世界地図を見ながら、「国境は山脈や川に沿っていることが多いですが、この辺りの国は真っ直ぐな線なのは何ででしょうか?」なんて先生が生徒に投げかけていた。
「理由は、植民地だったからですよ〜」と先生が言っていて、「へええ、しょくみんち、か、なんかよくわからないけどテストに出そう。」としか思っていなかった。

でもここに来て、こんな話を聞いて、国境というのが本当に現実に沿ってないことを実感しました。 

ただ地図上で引かれた幻想でしかない。でも暗黙の了解があって、みんな変えようのない事実だと思っている。お金みたいですね。

 

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【アートギャラリーで上映されていた動画。タイトルはうろ覚えだけど、「ジェントルマンたちの議論」というような名前でした】

 

ヨルダンはイギリスの支配下だったからかな。日本でいう1階のことをGround floorといい、2階のことを1st floorといいます。その言い方に慣れていない私にとってはかなり紛らわしいです~~

 

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【アンマンの夜】

 

もうすぐ11月が終わりますね。ヨルダンも朝晩はひどく冷えこむようになってきました。でも昼間はもこもこのニットを着ているとちょっと暑いなって思います。

このブログを読んでいるあなたは今どこにいるのかわかりませんが、ご体調にはくれぐれもお気を付けくださいね。健康大事です。では、また!

初留学でヨルダンに行く大学生。留学1ヶ月が経過して(ヨルダン留学記・りん)

どうもりんです〜今日はヨルダン、アンマンからお届けします!

そもそもヨルダンの景色が想像できないという方もいそう。観光地の写真を貼ってみます。

 

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【これは〔レインボーストリート〕から見える景色です。ライトアップされるとかわいい♡】
 

いつの間にかヨルダンに来て1ヶ月が経っていました。あまりにも早すぎて1ヶ月以内に交番でしなければいけないVISAの更新を忘れそうになりました。なんとかしなければいけない日の3日前に済ませることができました…不法滞在になるところだった。ちなみにそうなると罰金を払うことになります🙃

 

ーーヨルダン滞在を考えている人へーー
※最近ヨルダンのVISA手続きの法律が変わりました。初回の更新でもう2ヶ月延長する場合、[パスポートのコピー・滞在先の契約書・そのオーナーIDカードのコピー]を提出する必要があります。私は語学学校のディレクターに用意していただきました。それらとパスポート原本も忘れずに、できれば朝イチで!交番に行きましょう。さらにアラビア語が話せる人が一緒について来てくれたら怖いものはありません!


さて1ヶ月が経ったわけですが、早くも壁にぶつかりました🙃

 

やっぱりつらかった!!初の長期留学


初日。

ホストファミリー、英語使えないことが発覚。1年大学で勉強してきたアラビア語が通じなさすぎて、部屋にこもって号泣…なんでこんなところ来ちゃったんだろう、とさえ思いました…

もちろん語学力を伸ばしたいと思って来ました。だけどこんなに通じないなんて。想定外でした。これからの生活に対してひたすら不安を感じました…。

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語学学校の授業開始。

英語が使えて歓喜!やっと人とそれなりのコミュニケーションが取れる。でもそれも束の間、周りは欧米人ばかりで英語を使いこなす人たちばかりだし、音楽や映画の趣味が違いすぎるから(私はあまり洋楽洋画を鑑賞しません)、上手く会話の輪に入って行けずに落ち込み。もっと英語話せる自信あったのに。なんでみんなの前で一言も話せないんだろう…


家でも、ホストファミリーの前でいろいろ遠慮してしまって落ち着けない。伝えたいことが伝わらない。こんなんじゃだめだ、頑張らなきゃ、と思いはする。でもなんとなく気疲れして、勉強もはかどらない。

 

学校でも家でもストレスを抱えた結果、

 

3週間目。

体調を崩しました…私の体単純すぎる…

発熱と頭痛と腹痛、しかも海外で。病院に行くのも億劫なほど辛くて、でもそれよりもとにかく不安で不安で仕方なくて。

大袈裟ですけどもう生きるか死ぬかだ…と思ったので部屋を出て、Google翻訳を表示した携帯片手に「熱がある気がして…体温計ありますか…!!」と必死にホストファミリーに伝えました。あの時ほどアラビア語を振り絞って言ったことはなかった。(笑)

体温計はなかったけど、ホストマザーがお手製のスープを出してくれて、あれは美味しかったなあ…

 

たまたま近所に住んでいた日本の友達にも助けてもらって(感動)、本当に様々な人にサポートしていただいて、週末休んだらだいぶ楽になりました。

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ダウンタウンにはかわいい景色がたくさんあって写真を撮るのが楽しいです】

 

 コミュニケーションが上手くいかなくて…

今考えると、私は考えすぎていたのだと思います。

今話しかけたら迷惑かなとか、こんな話しても大丈夫なのかなとか、この表現で変じゃないかなとか。間違えたらバカにされないかな、失礼にならないかな…などなど…

そうするとだんだんストレスが溜まってくるんですね…ただでさえ住み慣れていない国にいるから、無意識にもいろんなことに気を遣って疲れちゃうのに。かなり精神的に負担がかかっていました。

 

でも私は留学は初めてで、どう対処したら良いかなんにもわからない!

 

そんなときに頼りにさせてもらったのが、留学経験のある仲間たち…!

いろんな人に連絡して相談しました〜(>_<)特に、このブログメンバーのりっちーとファーには助けられた🙏🙏

同じような悩みを持っていたと分かると、1人じゃないんだな、一緒に頑張る仲間がいるんだ、とだいぶ気が楽になりました。仲間の存在はありがたいです!!!

 

それからは、ホストファミリーにも遠慮しすぎず、でも自分の要望をきっかり満たす、ということができるようになってきました。「話せない、話せない」と思うよりも、「この言葉が聞き取れた!」「これが通じた!」と思うようにしようと。

 

語学学校の生徒と英語で話すのときも、「英語が上手く話せなくて馬鹿にされるんじゃないか」と勝手に思ってましたが、よく考えたら、

 

「そもそも私はずっと日本で生活してきて、英語を使う機会はヨーロッパの人に比べたら確実に少ないのに、今こうして英語使ってアラビア語も学んで一応生活できてるんだから、ふつうにすごいじゃん!」

 

と良い感じに開き直れました。上手くなくても話してみよう、そうしたら意外とみんな聞いてくれるから安心したんですね。分からない言葉があっても、言い換えをたくさんして「あれのこと、なんていうんだっけ…」って言うと当ててくれたり。

 

仲良くなったドイツ人の子に

「たまに英語聞き取れなくてみんなの話理解できないときもあるんだよね…」

って打ち明けてみたら、

「わかる〜特にあのイギリス人の人のアクセント強すぎてたまにわからないんだよね〜」

と!あ!めっちゃわかる(笑)なんだ私だけじゃないんだ。そうわかると気持ちがかなり楽になりました。

 

わからないことを恐れすぎないようにしよう。というか、間違えてもいいからたくさん挑戦してみよう。

と考えられるようになりました👏少し成長!

 

このように、壁を感じていたのは主に言語とコミュニケーションの面でした。食事や治安に関していろんな人から心配されますが、特に困ったことは今のところありません!

 

食の喜びは万国共通です 

食事!!これはね、もう美味しすぎる!

まずホストマザーの料理がすごく美味しい!マクルーベ、マルフーフ、タッブーレ、カプセ、たくさんのアラブ料理を食べています。

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【Kofta Kobab。想像通りの味、おいしい】

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【これはイエメン料理のMandi。バターライスの上にチキンがドンとのっている。イエメンレストランたくさんあります】

出店のファラーフェルサンドイッチとか、語学学校でのランチとか、レストランのホンモスとか、バーベキューのケバブとか、八百屋さんのフルーツとかとにかく美味しいものが多いんです💛

 

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【私の大好物ファラーフェルサンドイッチ。これは40フィルス=60円くらい。安すぎる】

 

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【オレンジの食べ比べしました~!ネーブルオレンジが外れなく美味しい!】

たまに脂っこいなあと感じるときもあるけれど…、全体的に日本人が好きな味が多い気がします!アラブ料理食べたことない方、ぜひ試してみてください😊日本にもけっこうアラブレストランありますよ~

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【スイーツといえばクナーファ。表面はさくさくの生地に甘いシロップがたっぷりかかっていて、中にはチーズが入っています。出来立てが最高です!】

 

今はアラビア語の伸びも感じているし、英語で話すときも少しずつ慣れてきた感じがしてます!この調子で頑張りたいな。

 

三日坊主、RIです。(ホーチミン編) 

※だいぶ前(10月)に下書きとして保存してあったのですが、2月に公開してます。。。

 

「りん」さんがブログを更新しろ、との通達が来て数週間経った今。(地獄のゼミ合宿から生還!!に浮かれておりました。)10月を迎え、レシートには消費税10%の文字が…🥺

っていうわけで早いですね、時が流れるのは。

 

皆さま?(なのか?..)

大変お待たせ致しました!!

ついに!ベトナム(ホーチミン)とマレーシアの旅行記(?もはや備忘録。)を書こうと思います〜〜

 

今回は、滞在15時間のホーチミン編!では、スタート🐈

 

まず夜20時頃に空港からバスで予約してあったホテルの近くまで行こうとしたんですね…

 

しかしバス停?が見当たらない。意味わからーんと思ってそこら辺のおっちゃんに、どこー?って言ったら目の前にあったというドジをしでかしたことから旅が始まりました。

 

(あ、ちなみに女子大生わたし1人の旅です。女子旅〜とかいうキラキラ要素はないですね。)

そんでもってバス🚌に乗り込んでも、アナウンスもなくバス停だと思われる場所での停車もなく、「え、なんでなん??」思ったわけですね。そしたら、自分でバス停🚏だと思ったらボタンを押して降ろしてもらうというスタイルでした。そんなの、土地勘ある地元の人しか分からんやろって思ってたんすよ。

 

後々ベトナムインターンをしていた先輩に聞いたら、地元の方はあまりバスに乗らないようでした。

 

んでもって取り敢えずプッシュザボタン💡って感じで「降りたーい」って言ったら伝わったようで、無事に下車。

 

そんでグーグルマップを見ながら歩いていたんですけど、現在地が正常に表示されないので、中々ホステルに到着できず、現地の人に聞きまくって、やっと発見しましたね〜。それからチェックインをして部屋に案内をしてもらい、しばらくしてからシャワーを浴びたのです。

 

さて、ここで質問です。皆様は今までにHELPと叫んだ経験はありますでしょうか。もちろん、私もありませんでした、この時までは。

 

あのですね…ドアの鍵が壊れて中に閉じ込められてしまったんですね、アハハ。しかも私の部屋は4F。叫んでも誰にも届きません。取り敢えず電話しようと思ったのに、不具合で繋がらず…途方に暮れました。それから15分…ホテルの予約サイトのメッセージ機能を駆使してなんとかスタッフが私の部屋まで来てくれました!!そして外側から無事に救助していただき、なぜかハイタッチを交わしていましたね。今ならサンシャイン池崎の気持ちがわかる。

そう実感しましたね。

 

そんでもって、次の朝。

ベトナム戦争記念館に行ってきました。

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高校、大学の授業で「ベトナム戦争」という言葉を耳にしたことも多いはず。この場を訪れるまでは、どこか他人事として見ていました。しかし展示されている戦場写真に心を奪われ、呆然とその場に立ち尽くしてしまいました。

 

敢えて写真は載せません。そこで感じた衝撃が伝わらない気がして…

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少し違和感を感じたのは、こちら。反戦運動の紹介コーナーだったのですが、日本、モンゴル、シリア、フィリピン、韓国、インドが並べられていますよね。アジアとして一括りするのは、分かります。でもこの括りは、意味があるのでしょうか。その国によって、戦争に対する想いは様々。日本が、東アジアが、アジアが、ユーラシア大陸が、といった一つ一つのグループ分け。きっとここでは、必要ないです。メッセージが薄れてしまうような気がしました。

皆さんも是非、一度は足を運んでみてください。

 

最後に!!

ホーチミンのおススメのカフェ、″Propaganda″(プロパガンダ)。

場所:21 Hàn Thuyên, Bến Nghé, Quận 1, Hồ Chí Minh, Vietnam

街をぶらぶらしてたら何ともかわいいアートなお店!って思って入ったのですが、本当にプロパガンダアートというものがあるとのこと!プロパガンダという言葉のイメージが悪かったので、芸術????とはてなマークが止まりませんでした。何とも言えない、「人」の描き方が面白いなと…笑笑

 

またまた話が長くなりそうなので、詳しくはググって見てください〜!

 

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では、ベトナム編でした!