差別とか紛争とか苦しみとか、なんであるんだろう(イスパレ留学記3)

日本を上空から1人で見てる。最初テルアビブからモスクワに行くまでは、超正統派ユダヤ人9割の中にアジア人の私1人ぽつんといるっていう不思議な空間だった。モスクワから東京への便は、アジア人ばっかり(日本人たくさん)で、これも不思議な気がした。

お家までの帰りの車の中で、真っ直ぐな整ってる車線を目でなぞりながら、

ここでは、歩いてて差別されないなあ、と、ふっと出てきた気持ちがちょっと可笑しいように感じた。

極めて日本人らしい名前を持ち、日本人と言うと日本人だねと自然と受け入れられる、そのような立場にいるということ、それがどのような意味を持つのか、そうでない場合にはどのようなことを経験しうるのか、真剣に考えたことがあったか。

なんだか、人種をどうしても意識してしまうはめになった。

 

🍏

f:id:b_girls:20200530183057j:plain

 

パレスチナでは2月に韓国人巡礼者がコロナに感染していたとのニュースが報じられた、と友達から聞いた。

 

3週間か1か月ほど経ったくらい。それがもう習慣と化したように、急勾配の坂を慣れたように登って降りて、大学への道、買い出しへの道を行く。

その日常に、何か違うものが増えた。

 

「コロナ」に関するニュースは友人ともよくしていた。日本ではここで感染者が出たらしい、休校になったらしい、就活が大変らしい。

いつもの帰り道や晩ご飯の時間の話のトピックとして新たに加わったのは、

「今日はコロナって言われた?」

 

🍏

最初は「この場所でもコロナウイルスが問題として意識されるようになったんだな」と納得したように思っただけ。外国人を見て声をかけたがりたい人たち(典型的なشباب؟)の習性としか思わなかった。今までも「China China!」ってよく言われたし(パレスチナでもヨルダンでも)、それが道端のアラブ人たちと話すきっかけになってたし。

 

でも2月下旬あたりから、明らかにアジア人の私や私の友達に向けてウイルスの名称を発せられていることが、どんな理由をつけても、理解することが難しくなった。

パレスチナでは外国人(特に東アジア人は珍しい)のでに興味本位で声をかけられやすいとか、ニュースで話題だからだとか、私も何とかこの出来事を正当化しようとしたよ。

でも冷静に考えればいい(人間の理性を過信)とか、相手は何もわかってない(自分から相手を見下すことを許容)とか、本当に感染が怖い(都合の良い理由で正当化)とか、ぜんぶぜんぶちがう!ほんとに無理なの!

 

「人種差別」という言葉がこの出来事を説明するのに完全に適しているとは思わなかった。でも私はこの言葉を使ったほうが自分たちの苦しみをあってはならないものとして、まるで強力な味方をつけたように主張できる、と感じた。だから私は一連の出来事を「人種差別」と呼ぶことにした。

 

🍏

聞かないふりをすることもできた。何もなかったと思い込んでもよかった。

 

でもそうしても何も変わらなかった。

 

むしろ差別は日に日に増えるようだった。1日に30回以上?何百回浴びせられたか分からないウイルスの名前。

 

地元のスーパーに買い物の行き道、帰り道、「コロナ!」と叫ばれる。

セルビス(乗合タクシーのこと)で「コロナ持ってるの?」って聞かれる。一緒に乗ろうとしない人がいるから、ヨーロッパの友達が「احن ما عندنا كورونا! احن ساكنين هون(私たちここに住んでるしコロナ持ってないです)」って言ってくれたりする(優しい😢)

 

すれ違いざまに「コロナ」と言う人もいれば(この手は言い返すことが難しいし卑怯)、向かい側の道路から「コロナー!!」と叫んでくる人もいるし、建物の中から、上から、そして車からセルビスから、わざわざご丁寧に窓を開けて身を乗り出して言ってくる人も、何人も何人もいた。

 

例えば若い男集団だけがそう言ってくるんだったら、その人たちが出没しやすいスポットを避ければ良いと思うけど、同い年くらいの男たち、女たち、おじさん、おばさん、高校生くらいの人たち、子どもたち、どんな年齢層の人にも言われるんだもん。どこにも行き場がない気がしてしまう。

 

ラマッラでは歩いてるだけで1分に1回ペース(もっと多かった?)で言われたんだけど、さすがに多すぎる!私でももし誰かにそんなこと言われたら大げさすぎるでしょ!って思っちゃうけど、本当にそうなの。こんなこと信じられる?

証拠としてビデオを撮ろうと思ってやってみたら、たくさん証拠が集まるから楽しくなっちゃって、人間はどんな状況でも楽しさを見出すことができるのかとも思ったりしたけど、ただの狂気だと思う。

 

大学ではさすがにそんなことないと言いたかった。トップ大学の、教育されていると考えられる人たちでしょう?口元を覆って笑いながら逃げる人たち、教室をわざわざのぞいて「コロナ」と言ってくる人たち、「この人誰?コロナ?」と大爆笑して横を通り過ぎる女の人。正直、ただただ失望した。

 

何回も同じ練習をすれば慣れるように、何回も差別されれば楽になれるなら、よかったのに。

 

🍏

あるとき兵士のブルドーザーでパレスチナ人が轢かれてる動画が回ってきたけど、それを私はどんな気持ちで見ればいいかもわからなくなっちゃった。前だったら怒りとか生まれたかもしれないのに、そんな気持ちもどこかにいってしまった。ただ、この占領の続く中、人権を主張する声、その声は時々国際社会に無視されていて、だけど反響する声の中に現れる「人権」という言葉には、私のようなアジア人は含まれていないので、その人には非人間的扱いをしても許される社会なのかと淡々と思う自分がいただけだった。

 

「コロナ」と馬鹿にされたときにはアラビア語で言い返すこともしていたけれど、私は攻撃的な言葉を返すことが満足感とともにあるということが、ものすごく気持ちの悪いものと思った。日本語で同じ言葉を言われたとしたら私は傷つくと思う。なのにそれを自分から発していくのか?それは問われずに、自分の被害だけを強調するのはどうなのだろう?と思うけれども、私はよくわからなかった。暴力的になることのほうが圧倒的に楽なこと、思考の余地がそこには入らないこと、そのくらい突発的で、けれど後味の悪いもの。

 

その気持ちを味わいたくない。それは外に出なければ解決されること。それならば外には出ない。いや、そんな思考をしたというよりは、起き上がる力の出し方や理由を、単純に忘れてしまっただけだったように思う。

 

🍏

しばらく引きこもってた。けれど不思議とその木曜日は、人気が少ない旧市街を散策しようと思い立った。人がいないところは良い。誰も私のことをコロナ扱いする人がいない。

 

帰り道は、誰か人とすれ違うたびにコロナコロナ言われて、できるだけ身を隠して歩くようにしても、やっぱりアジア人はここでは目立つからすぐバレちゃうんだよね。こんな見た目だから、「コロナ」って叫ばれる。

別にそんなの気にしなくて良い、無知な人たちの言うことだよ、そう言ってくれる人たちもいたけど、そしたら、気にする私が悪いってことなの?この見た目である以上避けられないの?嫌だと思うならこの見た目で生まれて来なかった方が良かったのかな。私が苦しんでるのは私がおかしいだけなんだ。そういう考えが一気に広がって、泣いても仕方ないとわかっててもコントロールなんてできなくて、そんなときでもすれ違う人々はそんな私を見ても「コロナ」って言い続ける。人がいなければ良い、人がいない世界の方が平和だな。占領も簡単。ここに人がいなければ問題なんか起こらなかったんだ。人なんかいなくなってしまえ。青い国旗がこの土地に、理不尽なまでに、もっとはためけばいい。

暴力的なものを空想したほうが愉快なのは、なんでなの?

 

 

ずっと前から、どうしてこの世界に苦しみがあるのか知りたかった。どうして飢餓になるのは私ではないの?どうして欠点ばかりの私が生きて、生きたいと望む人が亡くなるの?世界はどうしてこんなにも不条理なの。不条理に抗いたくて、そう思ってるうちに、いつしかそんな自分に、生きる意味が与えられてる気がしたの。

私が知りたくてたまらなかった問いに対して、300年以上前に生きた、ライプニッツの答えが素敵だった。この世界は神が可能な限り最善を尽くしてつくったということ。

人間は悪をもたらす存在かもしれないのに、そんな自分がいる世界を最善世界だとすることが、まさしく神の愛だと言った先生の解釈に、私は魅了され続けた。即座に正義が実現されるわけではないけど、正義は実現する。なぜなら正義の理念が人間にあるから。その正義の理念を持った全人類が力を合わせれば、必ず実現する世界。

神を責めて、自分は何もしないのではなく、自分の欠点を努力によって克服して、問題解決を目指すことが大事なんだ。そう思うと、どんなことに直面しても、力強さが備わる気がしたんだ。

 

でもこれは、人間の理性の過信かもしれないって思ってしまった。

そして自分の欠点を憎み、消し去ろうとするほどに、尊敬するはずの他者にも、同じものが見えてしまいそうで、目をつむりたい。けれどもう他者に対して暴力的になるのはわかってしまって、絶望しそうで。何も見ないようにふるまって。

 

 🍏

そんなとき、去年のイスパレの学生会議の参加者だった1人のパレスチナ人の友達が、私に連絡をくれた。どうやら知り合いの女の子が私の滞在先の近くに住んでて、その子が私に会いたがってるそう。

正直、1人で誰かに会うのは怖かった。会いたがってるっていうのは嬉しいけど、これを素直に受け取って良いのだろうか?さらに嫌がらせをするために呼び寄せるだけなんじゃないか?人を信じることができなくなった自分を認識した。これもショックだった。

とはいえ、友達の友達ってことだし。暇をつぶすように、文面のやりとりだけはしてみた。金曜日の朝に会うのは?ということになって、休日の朝なら人通りは少ないし、出歩くにはいちばん良い時間かもしれないなあと思った。

 

翌日、疑心暗鬼な気持ちのまま待ち合わせ場所に行った。会ってみると、よくあるはじめましてのときにする会話を交わすことができている。別に騙そうとか、そんなことはなさそう。少し心配の気持ちが解けた。

人通りのないあたたかい春の道を歩きながら、その子の住むフラットに向かう。彼女は、もう2人の子とシェアハウスしてるらしい。その日はやけにあたたかい日だった。坂を登れば汗ばむくらいの陽気だった。

さてお家に入ってみると、あたたかく私を受け入れてくれている。朝ごはんを作るフライパンの心地よい音と良い匂いが部屋を満たしてる。フライパンにはシャクシューカ。これから一緒に食べようって。ベランダの向こうには羊飼いがいるのが見えて、丘の上と下を羊が行ったり来たりしている。聖書の中のベツレヘムも、こんな風景だったりしたのかな。太陽が少しだけ眩しい静かな春の朝で、教会の鐘の音と、モスクのアザーンの音が響き渡るときには、その音たちが空間を一気に支配してるみたいになった。ベランダにテーブルといすを出して、シャクシューカにファラーフェル、ザータルとタヒーニ、フライドポテトにサラダ、ジャム、ピタパンと、下に生えてた木から今さっき摘んできたきんかん、ミントティーを並べて、فطورの準備は完了。

 数分前に出会ったばかりなのに、信じられないくらい優しく接してくれて話してくれて、でも思い出した。これがヨルダンでも私を惹きつけた、アラブのおもてなしの文化だなって。たしかにコロナ差別をする人もありえない数いるけど、こうやってあたたかく歓迎してくれる人たちもいるんだ。私はこの素晴らしい出会いのおかげで、美しいものをまた美しいと思えるようになったんだと思う。

私は帰国を早めてしまって結局彼女たちとはその一度限りの出会いになってしまったけど、彼女たちがいるのなら、その運命を信じて、また会いに行こうと思うんだ。

 

f:id:b_girls:20200530221721j:plain